金メダリスト・小平奈緒「所属・相澤病院」に隠されたちょっとイイ話

みなさんご存じでしたか?
週刊現代 プロフィール

「気遣いをうんとする子」

会ってみて、その判断は間違っていなかったと確信しました。彼女はとても真面目なんです。普段は優しくて、どちらかといえばおっとりしているイメージですが、スケートに関しては一途で一歩も譲らない。

初めて会った時も、まずスケートについて聞いてきました。だから「スケートは好きでよく知っているよ」と答えたんです。

「どうしてですか?」と訊ねるから、「僕の小さい頃は、ここらへんはもっと気温が低くて寒かった。池には氷が張っていて、休みの日は下駄スケートで遊んだものだ」と話したんです。するとぱっと顔が明るくなって「そういう時代があったんですね」とスケート談義に花が咲きました。

彼女から「私はここで一生懸命やって、頑張って成績を上げたい」と言うので、じゃあよろしくお願いしますという話になりました。

だが、相澤理事長が小平選手を支える理由はこれだけではない。彼自身、小平選手と同じように夢を断念せざるをえない状況に追い込まれた経験があった。

私は大学卒業後、信州大学の第二内科に所属し、そこで肝臓の研究をしていました。

若い学生と一緒に国から研究助成金をもらって研究チームをつくろうとしたところで、父が倒れた。教授から電話がかかって来て、「お前の親父は進行癌だ。余命はおそらく、2~3ヵ月だろう。お前は大学を離れて、相澤病院でちゃんと仕事をしなさい」と言われました。あの時、本当はまだまだ研究を続けたかった。

だから小平にはとことんスケートに打ち込んでもらおうと思っていました。彼女のことは事務員として雇用したのですが、一般業務はやらせていません。本人は「給料をいただく手前、少しでも働かないと」と思ったみたいで「せめて就業時間の半分くらいは働いて、残りの時間でスケートを……」と言ってきた。

でもそんなことしていたらどっちも中途半端になってしまうでしょう。だから「そういういい加減なことはやってはいけない。やるんだったら、徹底してスケートに励みなさい」と伝えました。

病院は松本市にあるのですが、練習場は長野市内でしたから、病院で長野市内のマンションを借り上げて、そこに住んでもらうことにしました。

 

オランダへの留学も出張という形で送り出しました。

彼女は気遣いをうんとする子でね、海外遠征をしていても私や患者さんのところへ必ず絵はがきを出してくれるんです。

オランダからの手紙には「この国ではスケートは国民の生活の一部だ」ということが書いてありました。オランダでは冬になると運河が凍るんだそうです。そうすると通勤なんかもスケートで行ったほうが早い。

休みの日には、運河を何キロも滑るスケートマラソンが開催されるそうです。本当にスケートが国技になっている国。必然的に競技は強くなりますよね。

オランダにはスケート選手を育てるプロチームがいくつかあるのですが、小平はそのチームの1つに所属して、2年間練習していました。

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言葉もわからない中で、そんな強豪チームに入って、嫌なことや辛いこともいっぱいあったはずですよ。でもそういうことは絶対に書いてこない。そういう子なんです。

いつも「この国でスケートがやれるのは、すごく楽しい」と書いてきていた。それで「この子は本当にスケートが好きなんだな」と思いました。

とはいえ、好きだけでは通用しないのがスポーツの世界。相澤氏は伸び悩んでいた頃の小平選手を見守り続けてきた。

一緒に食事に行ってもスケートの話ばかりしているんですよ。「氷をとらえきれていない」と悩んでいる時期もありました。そのために姿勢だとか、ブレードだとか、いろいろなことを工夫していた。

彼女は氷とうまく対話して、氷にうまく乗らなくちゃいけないという言い方をするんです。そうやって課題に立ち向かっていく彼女の姿を見ていると、自分が若い頃直面した困難が思い出されてますます応援したくなるのです。