裁判員制度はやっぱり裁判官の「責任逃れ」が目的だった

建て前を信じてはいけません
岩瀬 達哉

最高裁の抵抗

同審議会会長の佐藤幸治京大教授(当時)とも意気投合し、中坊の京都の実家、料亭旅館の「聖護院御殿荘」に集っては、しょっちゅう作戦会議を行っている。

また、この頃になると中坊は、元最高裁長官の矢口とも親しく意見交換するようになり、矢口は最高裁からは「裏切り者」呼ばわりされることとなった。

同審議会が取りまとめた「意見書」に「国民の司法参加」が明記され、いよいよ「裁判員制度」が実現するとなるや、宮本は最高裁事務総局の幹部と、非公式の場で協議を重ねた。

「最高裁の担当者とは、ずいぶん激しくやり合いました。最初、彼らは、裁判員に評決権を持たせることに頑強に反対した。

意見は言わせて参考にするだけの、評決権なき裁判員ということを言っていた。しかし最後は、彼らも状況を見たんですね。裁判員の評決権を受け入れましたから」

 

難産の末に裁判員制度は誕生したが、宮本の悲願であった「法曹一元」は、実現させることができなかった。

裁判所の中だけでキャリア裁判官を純粋培養するのではなく、検察官や弁護士からも裁判官を登用するための「法曹一元」は、さまざまな経験を有する人材が裁判官となるため、「司法官僚制」は維持できなくなる。

また、これが採用されると、組織のピラミッド構造が崩れ、最高裁長官を頂点とする高額給与や退職金の支給モデルも根本から変更しなければならない。

最高裁は、「法曹一元」を潰す見返りとして、「裁判員制度の導入を呑んだ」ともいえよう。

しかしいま、「裁判員制度」は新たな局面を迎えつつある。それは、矢口も宮本も想像もしなかった深刻な事態の到来を告げるものである。

(文中敬称略・以下次号)

岩瀬達哉(いわせ・たつや)
55年、和歌山県生まれ。'04年『年金大崩壊』『年金の悲劇』で講談社ノンフィクション賞を受賞した。その他著書多数

「週刊現代」2018年3月17日号より