裁判員制度はやっぱり裁判官の「責任逃れ」が目的だった

建て前を信じてはいけません
岩瀬 達哉

批判の矛先が「裁判員」に

「闘い」を宣言しながら、「良き裁判官」が少ないことを認め、「陪審制度」の導入で「誤判」を防ごうとの姿勢は、多くの裁判官たちを混乱させ、表立って言うことのできない強烈な「目的意識」を見落とすことになる。

矢口が、「陪審制度」や「参審制度」の調査研究のため米国、フランス、ドイツなどに派遣した裁判官たちも、その隠された「目的意識」を見抜けなかった。

Photo by iStock

海外調査に赴いた裁判官たちは、いずれの制度も日本には向かないとして、否定的な報告書を書いている。

ちなみに「参審制度」とは、基本構造は「裁判員制度」と同じで、任期が参審員の場合は一定期間決められているのに対し、裁判員は事件ごとに異なっているという違いがある程度だ。

調査報告書に失望した矢口は、こう語っていた。

「『やれ』と言ったら、事務局は反対しないんです。しかし、実際の研究員の指定まではできませんから」

「陪審員でも裁判員でも、あれは自分に付いてくれて、自分を守ってくれて、自分の意見を固めてくれる人たちだと思うべきです。そして、何か他人が文句を言ったら、『陪審員も入って決まったんだから』と言う。こんないいことはないじゃないですか」(『矢口洪一 オーラル・ヒストリー』)

元最高裁判事の泉徳治は、『一歩前へ出る司法』で、矢口の「目的意識」について、こう解説する。

「これは独特の政治感覚ですね。死刑判決が再審で無罪になった事件が四件もあり、職業裁判官は何をやっているんだという話になりましたね。

これが陪審裁判だと、国民が判断したことになるので、仮に再審で無罪となっても、批判の矛先が裁判官ではなく陪審員になる、裁判官は批判をかわすことができる、という政治感覚です」

 

実際、矢口が長官に就任した1985年前後、「免田事件」の免田栄や「財田川事件」の谷口繁義など確定死刑囚への再審無罪判決が相次いでいた。

また、「徳島ラジオ商事件」の再審無罪判決では、捜査の片棒まで担いでいた裁判官たちの恥ずべき実態まで明らかになっている。

若い時代から矢口をよく知る元裁判官に、矢口の「目的意識」について話すと、しばし黙り込んでしまった。やがて、「信じがたい」と呟くと、こう語った。

「無責任だねえ。裁判を受ける側からすれば許せないじゃない。『陪審制度』を提唱したのは責任逃れが目的で、『誤判』があっても、当方は知らんよと言えるためだったというのは。

当時、われわれになされた説明は、職業裁判官だけでは、モノの発想力に弾力性が欠ける。いろんな人材を裁判所にも吸収すると、まあ、そんなことを言ってたよ。

僕は、矢口さんの本音を隠すための表面的説明だと当時から思ってたけど、それが責任逃れだったとは想像もしなかった」