福島原発事故「消えた避難者3万人」はどこへ行ってしまったのか

3・11後の「言ってはいけない真実」
青木 美希 プロフィール

時間が経てば忘れていいのか

高野仁久さんは、3月11日が近づくたび、落ち着かなくなるという。彼は浪江町の消防団幹部。あのとき、助けを求める人たちがおり、救助活動に行こうとしていた。

翌朝から捜索すると決まったが、中止になった。原発が危ないという情報が入り、避難することが決定されたのだ。ショックだった。

救助活動に当たっていた消防団員の後輩の渡辺潤也さん(36)も行方不明になっていた。渡辺さんは、「ジュンヤ」と下の名前で呼ばれ、慕われていた。理容師で、野球で活躍していた。家族は母と妻、中学生の長女と小学生の長男がいた。

以来、消防団は毎年3月11日に捜索を行っていた。だが、5年経った2016年3月11日で打ち切られることになった。団員は避難で全国に散らばっている。もう集まるのが難しい、という判断だった。

最後の捜索のニュースがテレビで流れた。ジュンヤさんの母親の昭子さんが「いままで5年間捜索してくれた気持ちに感謝したい」とテレビで語った。

それでいいのか。5年経てば解決するのか──。

 

2017年3月11日の捜索は、高野さんは自主的に参加した。ジュンヤさんのものを何か見つけて、親御さんに返してやりたいと思った、と言う。ジュンヤさんとは、年も離れているし分団も違う。1、2度、宴席で一緒になったぐらいだ。

しかし、一人の消防団員として、打ち切っていいのかという後ろめたさがあった。捜索に参加すれば、気持ちの中で自分を許せるのかな、と高野さんは思った。捜索に参加したのは50人ほどで役場職員が多い。高野さんは「これまででいちばん少ないな」と感じた。

請戸川や、津波が押し寄せた大平山の間を重点的に捜索した。

鍬や熊手で土を掘る。骨や身元確認につながるものがないか探す。6年の歳月が流れるうちに土をかぶってしまい、10センチ以上掘らないと何も出てこない。掘った土の間からプラスチックのかけらが出てくる。おもちゃのネックレスの一部だった。免許証、アルバムの写真。屋根のトタン。

作業することが高野さんなりの“誠意”だった。

海沿いでは護岸強化やがれき処理、焼却などの復興工事が行われており、重機が入っていて捜索ができない。人間の手でやるのはもう限界がある。本当はトラクターで土を掘り出し、ふるいにかけないと出てこないだろう。そんな思いとは裏腹に、復興工事が進む。

その影響もあって、不明者が見つからないのではないかと思う。

2018年3月、あの日がまたやってくる。参加するかどうか高野さんはまだ決めていない。

「毎年、3月11日が近づくと、じっとしていていいのかという思いが出てくる」