被災地・飯舘村に移住した、前原子力規制委員長・田中俊一氏の決意

無報酬で村の「復興アドバイザー」に

2012年9月に初代原子力規制委員会の委員長に就任し、原発再稼働に関する安全審査を司った田中俊一氏。昨年の退任後、氏は故郷の福島へと向かった。

5年にわたり様々なしがらみと闘ってきた老科学者は、雪残る被災地でいま何を思うのかーー。

山あいにひっそりと暮らす

東日本大震災、それに続く福島第一原子力発電所の事故から丸7年が過ぎようとしている。だが、「フクイチ」がある福島県の浜通り地方には、まだ事故の深い傷痕が残されたままだ。飯舘村もその例に漏れない。

大量の放射性物質が飛散した飯舘村は、昨年春に一部の地区を除いて、ようやく住民の帰還が許されるようになったばかり。しかし、もっとも汚染がひどく、いまも帰還困難区域に指定されている長泥地区に続く道路は、鉄製のゲートで閉ざされている。

この村にはいま、昨年9月まで原子力規制委員会の委員長を務めた田中俊一氏(73歳)がいる。本来の自宅がある茨城県市から車を飛ばして、数日ごとに行き来する生活を送っているという。 

われわれが田中氏の新しい住まいを訪ねたのは2月の下旬。飯舘村は前日に降った雪でうっすら覆われていた。

「なんだい。ずいぶん早いな」

自宅の呼び鈴を押したのは朝8時半ごろ。自分で用意した朝食を食べ終えたばかりだった。少々ぶっきらぼうながら、実直な人柄がにじみ出る口調は、以前取材した時と変わらない。

招き入れられた自宅は、かつて村の診療所の医師が住んでいたという。10年ほど空き家になっていたが、すっかりリフォームされていた。

「天井も高くて立派な家だけど、その代わり冬場はかなり寒くて暖房費がかさむよ。昨日なんて、風呂場の天井から落ちた水滴で床に氷筍が出来てたくらいだ」

ほんの数ヵ月前まで、原発の安全性に厳しい目を光らせてきた人物は、いま人よりもイノシシの数のほうが圧倒的に多い山村でひっそりと暮らしている。いまの肩書は飯舘村の「復興アドバイザー」、無報酬のボランティアだ。