なぜぼくたちだけが生き残ったのか?
人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!
ジャワ原人の化石は、主に河川層で見つかる。
つまり、川に流されて堆積した地層にあるので、本来、生活していた場所で見つかっているわけではない。全身骨格がないのも、流されて骨がばらばらになってしまったあとだからだ。一人のジャワ原人の全身が出たり、生活の跡が発見されたりするのは
本当に夢のようなことだと感じられる。
しかしこればかりは、化石の成因に直接かかわることなので、しかたない。
初めて見つかった「ミッシング・リンク」たる初期人類として、世界史の教科書に必ず載るほど有名だし、化石の点数もかなりある。なのに、謎に満ちている。それがジャワ原人なのだ。
加えて、ジャワ島では、さらに問題がややこしくなる要素がある。
調査隊が化石を見つけるよりも、現地の人たちによる発見のほうが多く、その場合、往々にして、どこから出てきたのかがわからないのだ。
この件についてはケーニヒスワルトによるサンギランの発掘のところでも述べたけれど、サンギランの場合はまだ、発見した人にどこから出てきたのか聞けるからましだった。しかし、海部さんが現在発掘をしているサンブンマチャンでは、見つけた人に聞いてもわからないことがあるのだ。
サンブンマチャン1号(頭骨)は運河の工事の途中で掘り起こされたが、どの地層から出てきたのか、確かな情報はない。2号(腓骨)は地面に転がっていたのを拾われた。
そして3号(頭骨)や4号(頭骨)は、ともに川底から見つかった。もともと流されて堆積して、化石になったのに、それが最近になって、川の流れに侵食された露頭からぽとりと落ち、もう一度、川に流されたあとに、砂採りをしている地元の人に見つけられるというパターンだ。この場合、はたしてどこの露頭から転がってきたのか、推測するのがとてもむずかしくなる。
さらにさらに! 思いもよらない化石の「発見」もある。
「サンブンマチャン3号は、実はインドネシアではなく、東京にいるときに“買ってくれないか”と持ちかけられたんです。1999年のミネラルショーで、いろいろな業者が東京に集まってきたときに、ニューヨークの骨董店から打診を受けました。科博(国立科学博物館)にはお金があるとでも思ったのか、化石のレプリカを持ってきて、実物がニューヨークにあるから買ってくれないか、と」
ミネラルショーというのは、素直に訳せば鉱物即売会みたいなものだが、化石も売っている。地面から発掘されるものとして、化石も鉱物もそこでは一緒に扱われているのだ(馴染みのある人にはあたりまえのことだが、生物に由来する化石と、無生物の鉱物が同じ場所で売買されることに違和感を持つ人もいるみたいなので、念のため)。
そしてミネラルショーでは、希少な化石がしばしば高額で取引される。これらが合法に行われる取引であればいいのだが、しばしば、かなり怪しい売買もあるようだ。
1999年のミネラルショーの際に売買を持ちかけられたとき、海部さんたちは、重大な違反行為があったのではないかと考えた。というのも、レプリカを見るかぎり「本物」のジャワ原人の頭骨のようだったからだ。今のインドネシアでは、未知のジャワ原人化石を許可なく国外へ持ち出すことは禁じられているので、もし「本物」なら、非合法ということになる。
「レプリカを見て、これは本物であることを確信し、インドネシア側と連絡をとりました。それから、ニューヨークのアメリカ自然史博物館にも協力してもらって骨董店と交渉し、標本をインドネシアに返還してもらいました。」
「それがどこから出たのかというのも調査して、サンブンマチャン地区だとわかりました。1号と2号が出たところから4キロほど離れたところの川底からみつかったものだと。今、われわれが調査しているのは、まさにその近くなんですよ」
というわけで、のちにサンブンマチャン3号となる標本の回収に、首尾よく成功し、同時に、新しい調査地を拓くきっかけにもなったのだった。その後、2001年に見つかったサンブマンチャン4号は、3号の発見地から数百メートル上流の川底から見つかったというから、なにか運命的なものを感じる。
4号は、頭骨の底、頭蓋底の複雑で繊細な構造が残っているほど保存のよい化石で、海部さんは当時のチームリーダー馬場悠男さん(当時の海部さんの上司)らとともにその発見を『サイエンス』誌に報告して話題になった。
なお、現地の人たちによるソロ川での砂採りは、毎年、雨季に削られて積もった川底の砂を採りつくしてしまうほど集中的に行われているので、川底で発見された頭骨が、何年もかけて長距離を流れてきたとは考えにくい。とにかく発見地点の「近く」の地層から洗い出されたはずだ。海部さんたちは、細心の注意を払って元の地層とその年代を調査している。