熟年離婚から10年、2度目の結婚記念日を迎えた父と母とぼくの未来

現役証券マン「家族をさがす旅」【6】
町田 哲也 プロフィール

2度目の結婚記念日

社会人になってから何年間かは、週末は実家に帰っていた。月に1回くらいのペースだっただろうか。親に対する子どもの義務のような気がして、社会人生活を話して聞かせていた。

 

帰らなくなったのは、父に文句をいわれたからだ。週末はたいてい資格の勉強やレポートを読んだ後で帰るので、家に着くのが遅くなってしまう。それが父は気に入らなかったようだ。

「もう少し早く来ることはできない?」

「何でだよ」

「お父さんが、あなたが遅くに来ると、うるさくて目が覚めるっていうのよ」

「俺だって仕事があるなか、時間を作ってきてるんだ。何から何までお父さんに合わせることなんてできないよ」

「わかってるけど、あの人は飲みはじめるのが早いでしょ。あんまり遅いと、起きてられないのよ」

「だからってさ」

「本音では、あなたと話したいんだから」

母の優しさも父の気持ちもわかっていた。でもそんな気持ちより仕事を優先することこそ、当時の自分にとっての成長に思えたのだ。

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和室に布団を敷いて寝ていると、母が何度か作業をしていることに気づいた。猫の世話をしていたのだろう。5時過ぎにぼくが携帯電話の目覚ましを止めて起きると、母がリビングで横になっていた。

「涼しいから、ついこっちで眠っちゃうのよね」

そういってあくびをする母が、ずいぶん歳を取ったように思えた。

このときぼくの頭のなかを占めていたのは、病院のベッドに掛けられたネームプレートだった。

「町田道良 78歳」と書かれたベッドに寝ている老人について、自分は何を知っているのだろうか。これが本当に、長く一緒に暮らした父の姿なのだろうか。自分のなかに、いまだ知り得ない存在の血が流れているように思えた。

ぼくが実家を出てからすでに20年がたつ。大学を卒業すると同時に姉が結婚し、弟も家を飛び出していたので、家族が全員そろうことは滅多になかった。家族とは名ばかりの、もはやほとんど何の関わりもない人間の寄せ集めに過ぎなかった。

自分が掘り起こさない限り、父の人生は永遠に埋もれてしまうかもしれない。そんな焦りを感じたのは、父に対する感情に変化があったからではない。単純に父のことをもっと知っておかなければ、自分が後悔するような気がしたのだ。

家族がどんな人生を送ったかを知ることこそ、自分という存在の根源につながるように思えた。

8月27日、母が入籍届を市役所に提出した日は、2度目の結婚記念日となった。保証人は、姉とぼくの2人だった。

                              (第7回につづく)