現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。
第1回「危篤の父が証券マンのぼくに隠していた『もうひとつの家族と人生』」
手術を終え、リハビリを続けていた78歳の父。だがある日、容体が急変した。病院に再び駆けつけた「ぼく」に、一度は父に愛想を尽かしたはずの母が、思いがけない告白をする。
夏休みシーズンも終わり、マーケットにも徐々に活気が戻りつつあった。ぼくは企業の資金調達のサポートをする部署にいたので、日銀が推し進めるマイナス金利政策により低利での調達が可能になるのを実感していた。
多くの企業が注目していたのが、長期年限での社債発行だった。無担保でも0.3%程度で、満期10年の資金を調達することができる。国内社債の発行件数は、過去最高水準まで増加していた。
会社に加えて忙しくなっていたのが、作家活動のほうだった。ぼくはこの頃、金融ファクシミリ新聞という金融の専門紙で、小説の連載をしていた。4月にはじまった連載は90回を越え、完結する日も見えていた。
毎日の連載は精神的にきつかった。マーケットで働く方々がメインの読者なので、反応が早い。朝9時前にはその日の感想がウェブ上を飛び交い、登場人物の設定があり得ないとこき下ろされたこともある。
顔の見えない読者に反発も憶えたが、反応がないのはもっと不安だった。他人の評価を気にしている自分を否定できなかった。
8月26日のことだった。父は朝から元気だ。話している内容も聞き取りやすい。前日ぼくが見舞いに行ったことも喜んでいた。ひげも自分で剃り、珍しく手帳に母の似顔絵を描いている。今まで父が絵を描く姿を見たことがなかっただけに、意外な面を見た気がした。
気になるのは、尿を出やすくする薬を入れたせいか、血圧が低く心拍数が高いことだ。しきりに水が欲しいというので、母がティッシュを水で濡らして何度も口に入れていた。
事態が変わったのは昼過ぎだった。大便と同時に大量の出血があり、血圧が70まで下がっていた。意識ははっきりしていて、母が話しかけると返事はある。出血を止める処置をするために検査室に入った。
土曜日だからか主治医の八木医師は休みのようで、代わりの医師が検査した。血圧を上げる処置をするものの効果がなく、すぐに家族を呼ぶように指示が出た。
ぼくが母から連絡を受けたのは16時過ぎ、ちょうど池ノ上に家族でザリガニ釣りに行った帰りだった。蚊取り線香をつけていたがほとんど効果がなく、親子で何十ヵ所も刺されて痒かったのを憶えている。
自転車の後ろのチャイルドシートには5歳の息子、前には3歳の娘を乗せていた。2人で40キロを超えるので、電動自転車がないと移動がきつい。週末は妻も含めた家族4人、自転車2台で近所の公園に遊びに行くことが多かった。
「これからパパは、おばあちゃんのところに行かなくちゃいけないんだ」
ぼくの言葉に、息子がうらやましそうな顔をした。
「みんなで行くの?」
「いや、パパ一人で行くから、ママとお留守番しててくれ」
「家に帰ったら、すぐに行く?」
「そのほうが良さそうだな」
ぼくは妻に事情を説明すると、子どもたちには父のことを、今までほとんど話してなかったことに気づいた。ぼく自身が父に距離を置いていたため、実家に遊びに行ったことも数えるほどしかない。
最悪の事態を考えると、このままにしておくわけにいかない。そんなことを思いながら、病院に向かった。