もし細胞が一軒の家だったら(1)

生命1.0への道 第5回
藤崎 慎吾 プロフィール

竪穴住居から集合住宅へ

岩陰や洞窟の次に登場したであろう「家」で、たぶん最もよく知られているのは「竪穴住居」だ。簡単に言えば、一定範囲の地面を円形あるいは方形に掘り下げて、そこに屋根をかけた半地下式の家である。先史時代には世界各地で見られた。日本の場合、掘り下げる深さは数十~100cmくらい、面積は20~40m2(12~24畳くらい)だった。

木材の支柱を立てて骨組みをつくり、茅や葦などの草で屋根を地面までふき下ろした。湿気はこもるが、夏は涼しく冬は温かいという。中央には、たいてい炉がしつらえられた。ヨーロッパでは屋根の材料に、マンモスの皮や骨などを使った例もある。

要するに人工的な窪みをつくって、そこを手近な材料で覆ったわけだ。この竪穴住居は日本だと13世紀ごろ、つまり鎌倉時代まで使われていたという。一方で、ちゃんと床や壁、柱、屋根の揃った家らしい家が登場したのは、3世紀半ば以降の古墳時代だった。

生命0.1となったかもしれないミクロの岩陰でも、その鉱物でできた壁に、だんだん脂質の膜が生成されていったという説はある。あるいは最初の材料はアミノ酸だったかもしれないが、とにかく窪みの壁や隙間を覆うように、こじつければ屋根をふき下ろすように、柔らかな膜が張られていった。

この段階がいわば「生命0.2」くらいで、家だったら竪穴住居に当たるかもしれない。やがてエネルギーやさまざまな物質を生みだすシステム(代謝系)が、そっくり膜に包みこまれて鉱物の壁から離れていったとしたら、それこそが原始細胞の誕生――家に譬えれば、床や壁、屋根が揃ったということになるだろうか。もちろん何も実証されてはいないが、そういうシナリオもありうるようだ。

竪穴住居はもちろんだが、古墳時代の家も基本的にワンルームだった。食べる場所や寝る場所、仕事をする場所という区画は何となく決まっていたらしいが、とくに間仕切りなどはなかった。

これは平安時代の寝殿造りでも同じで、貴族の大邸宅は天井のない、がらんとした体育館みたいなものである。そこを几帳や屏風、衝立、簾などで、何となく仕切っていただけだ。これらの仕切りは動かしたり片づけたりできるから、家の間取りは常に変わっていた。

固定された壁や襖、障子などで、きちんと部屋を分け始めたのは、室町時代の書院造りからである。ここまでくると基本構造は今の家と変わらない。あとは家どうしがくっついて「長屋」になったり、垂直方向にも積み重なったりして一体化が進み、アパートやマンションなどの「集合住宅」が誕生していった。

原始細胞の中も最初のうちはぐちゃぐちゃか、大雑把な物質の分布があるだけで、さまざまな化学反応が無秩序に起きていたかもしれない。しかし現在は(真核生物の場合)核やミトコンドリア、リボソーム、小胞体、ゴルジ体など「細胞小器官」と呼ばれる「小部屋」に仕切られており、それぞれの場所で決められた反応が起きている。

やがては複数の細胞がくっつきあって「長屋」のような群体をつくったり、無数の細胞が一体化して「集合住宅」のような多細胞生物が誕生してきた。

こうしてみると細胞と家の誕生や進化には、けっこう共通点が多いように思える。少なくとも細胞と自動車の関係よりは、ずっとましだろう。しかし、これもやはり単なるこじつけに過ぎないのだろうか。それとも多少は何か本質的に通じるものがあるのだろうか?

譬え話とはいえ、一介の物書きが、あまり想像をたくましくしているだけでは申し訳ない。ここで専門家の印象を聞いてみたくなった。しかし細胞と家との関係を考えたことのある研究者なんて、いるのだろうか――と思ったらいたのである。

しかも研究室には「細胞建築学」という、聞きなれない看板までかけていた。国立遺伝学研究所教授の木村暁(きむら・あかつき)さんである。そこで次回は木村さんの研究室を訪ね、細胞建築学と生命の起源とに、何か関係がありそうか探ってみたい。

第6回に続く★