ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう 第1回:発掘の現場から

彼らはなぜ滅んでしまったのか?
川端 裕人 プロフィール

化石の宝庫、ジャワ島・サンブンマチャン

2014年9月のことである。ぼくは、国立科学博物館・人類史研究グループ長の海部陽介さんの招きで、生まれてはじめて、人類化石を目的にした発掘調査に参加していた。

日本から参加している3人というのは、リーダーの海部さんの他に、岡山理科大学理学部動物学科の高橋亮雄さん(カメ類を中心とした陸生脊椎動物の系統分類学的な研究を中心テーマにされている)、そして、ぼくだ。

発掘成果を整理する、本稿監修者の海部陽介氏

ジャワ島は、数百万年まえに隆起して島として成立したとされている。発掘地のサンブンマチャン周辺に出ているのは、陸地になったあとの地層だ。川に流されて堆積した生き物の化石が、ふんだんに発見される。

ワニのような水の生き物はもちろん、絶滅種のゾウであるステゴドン、スイギュウ、シカ、サイ、トラ、さらにはやはり絶滅種の巨大なリクガメまで。時代とともに変わる動物相があきらかになっている。

そんな中に、「人類」がいた。ぼくたち現生人類とは違う(しかし、チンパンジーなどの類人猿よりはずっと近い)、いわゆる「ホモ属(ヒト属)」の人類が長く栄えていた。

日本では、ジャワ原人と呼び習わされる。類人猿とぼくたち現生人類をつなぐ、進化の上での「ミッシング・リンク」として、19世紀に初めて見つかったもので、これまでの人類学史上、もっとも注目された化石人類のひとつだ。

学名は、ホモ・エレクトス(Homo erectus)。一昔前は、ピテカントロプス・エレクトスと呼ばれていた。ピテカントロプスは「猿とヒトの間」というような意味だが、今では現生人類に近いことを強調して、ぼくらと同じホモ属に入れるのが適切とされている。

「エレクトス」は直立の意味だから、あえて訳すなら「直立原人」だ。120万年くらい前にはもうジャワ島にいて、5万年前頃まで生きのびていた可能性がある。

ぼくたちとは似て非なる「人類」

5万年前というと、すでに、現生人類ホモ・サピエンスが登場し、アフリカを出て、ユーラシア大陸の各地に散りつつあった。オーストラリア大陸には4万7000年前に来ていた証拠がある。

さらにいうと、南シベリアにいたネアンデルタール人、さらに同じ場所で21世紀になって発見された素性が不明の“デニソワ人”など、原人よりは進歩的ながら、ホモ・サピエンスよりも古い特徴を持った人たちもいた。

さらにさらに、もう少し時代の幅を広げるならば、海部さんの研究テーマの一つであるホビット(小さな人類)、ホモ・フロレシエンシスや、台湾の原人“澎湖人”も、ジャワ島からそれほど遠くないご近所に暮らしていた。

なんと多様な人類模様があったことか。

これは、現生人類の中での多様性、たとえば、アジア人だとか、ヨーロッパ人だとか、アフリカ人だとかいうのとは次元が違っている。今生きているぼくたちは、非常に均質な集団だ。生物学的には、ひとつの種だ。

しかし、少し前の地球では、複数の別種の人類が共存していて、むしろ、それが当たり前だった。多様な人類、と言うとき、現在からイメージするのとは桁違いの目もくらむような「多様さ」だったと思われるのである。

21世紀の今、化石を通じた人類史の研究の中心は、アフリカだと多くの人が思っている。実際に、間違いではない。アフリカが人類揺籃の地であることは、確定したと言ってよく、とすれば、なおさら今後も、アフリカは重要視されていく。

しかし、これだけ多様な人類を擁したアジアも人類進化のホットスポットだ。ジャワ島は、そんな中で、一番、長い間、同じ場所から、たくさんの古人類化石が出続けている。アジアの人類学研究の中心地の1つであり、人類の多様性の基準となる物差しを提供することが期待される。

いにしえの世界には、ぼくたちの他にどんな人類がいたのだろう。彼らはどんな環境で、どんなふうに暮らしていたのだろう。なぜ、彼らはいなくなってしまったのだろう。どうして、今、人類はぼくたちだけなのだろう。そういった謎に迫るための「原点」がここにある。(次回に続く)

監修 海部 陽介かいふ ようすけ

人類進化学者 国立科学博物館人類史研究グループ長

1969年東京都生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。理学博士。1995年より国立科学博物館に勤務し、現在は人類史研究グループ長。「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表。第9回(平成24年度)日本学術振興会賞。化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績をあげてきた。アジアへのホモ・サピエンスの拡散についての、欧米の定説に疑問を抱き、これまでグローバルに結び付けて考えられてこなかった日本の豊富な遺跡資料を再検討。著書『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)。