殺人事件の有罪判決をひっくり返した、勇気ある裁判官の告白

「徳島ラジオ商殺し」過ちの全貌
岩瀬 達哉

「裁判長は云いなり」

当初、警察は、亀三郎の布団のシーツに残されていた土足の靴跡(ラバー・シューズ)などから、「外部犯人説」を取り、約1年にわたって捜査。地元のヤクザふたりを逮捕するが、起訴には持ち込めなかった。

犯行を裏付ける決定的証拠がなかったうえ、ひとりはヒロポン中毒で証言能力がなく、もうひとりは頑強に否認を貫いたからだった。

地元紙が「迷宮入り」を報じるなか、「強気の田辺」と異名をとった徳島地検の田辺光夫検事正が、警察に替わって捜査を指揮することになった。

地検のトップである田辺は、「無能な警察に替わって犯人を挙げてみせる」と大見得を切っていたという。

司法修習を終えたばかりの村上善美検事を中心に、数名の検事と検察事務官で特別捜査班を編成。驚くほど「突飛な発想」で、茂子を犯人と想定した「内部犯行説」による捜査を開始している。

 

地検の見立ては、10年以上生活を共にし、実子までもうけているのに籍を入れてもらえない茂子の不安と不満が、犯行の動機で、凶器の刺身包丁は、茂子が、住み込み店員に命じて橋の上から川に捨てさせたうえ、外部犯行を装うため、電灯線と電話線をも切断させた。

そして、現場に残されていた匕首は、事件前に茂子の指示で住み込み店員がヤクザの組事務所から借りてきたというものだった。

確たる根拠があってのことではなく、これらの憶測を住み込み店員の供述で裏付けられれば、事件を解決できるという、信じがたい捜査方針だった。

実際、特別捜査班は、住み込み店員のひとり(当時17歳)を45日間勾留し、もうひとり(当時16歳)は27日間勾留。先の荒唐無稽なストーリー通りの供述をさせている。

検察官から、少年店員の供述を聞かされ、「お前が殺さんと誰が殺すか」と責められた時の心境を茂子は、獄中手記に残している。

「『包丁を捨ててくれ』とか『電線を切ってくれ』とか、そんなことを頼んでわからずにすむと想うほどの私は馬鹿かしら」

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過酷な取り調べを受けながらも、「私こそ真の被害者」と否認を貫いていた茂子に検事はこう言った。

「お前は裁判のやり方を全然知らないなあ――。教えてやろうか」「殺しましたと云えば……情状を酌量して執行猶予をやるわ。裁判と云うものはなあ、検事がこうだと定めたら、裁判長は大方云いなりになるものだ。

お前がいくら声を大に叫んでみても、検事が『夫殺し』だと決めたら、お前の友達も近所の人達も、ああやっぱり茂子が殺したのかと納得し、得心するのが人情だ」

地検としては、警察に啖呵を切っていた以上、どうしても茂子を犯人に仕立て上げ、早期に事件を解決する必要があった。外堀を埋めるための、巧妙に計算された演出まで行っていたのである。

橋の上から川に凶器を捨てたとの店員の供述を公表し、大がかりな川ざらえを行なっていたのだ。

地元紙の徳島新聞は、川ざらえの様子をこう報じた。

「事件のキメ手とみられる凶器の刺身包丁を茂子の指図で両国橋から新町川に捨てたとの元同店員の自供にもとづき、潜水夫を川底にもぐらせ、午後から県警本部の応援を求めて水中探査機を持出し、約7時間にわたり水中探索を続けたが、出てきたものはパチンコ玉、火バシ、ナイフばかりで、ついに期待された凶器は発見されず」(1954年8月27日付)