殺人事件の有罪判決をひっくり返した、勇気ある裁判官の告白

「徳島ラジオ商殺し」過ちの全貌
岩瀬 達哉

「冤罪」を確信した

その「不可思議な審理」への考察を重ねながら、秋山は、裁判長の安藝保壽と任官2年目の細井正弘裁判官との裁判体で再審請求審の審理にあたった。

裁判長の安藝は、もともと徳島県の出身。3人の姉に囲まれて育った末っ子で、芯は強かったが出世欲の乏しい人だった。

冨士茂子の裁判がはじまってすぐの頃に徳島地裁に赴任。公判過程を裁判官として注視しており、この事件は「冤罪」との疑問を抱いていたという。

秋山は、約3ヵ月かけて訴訟資料を読み込んだのち、1978年7月のある日の夕刻、裁判所近くのデパート屋上のビヤホールで、安藝裁判長らとの最初の意見交換をおこなった。

当時を回想して秋山は、「あの日は、本当に楽しかった」と語った。

「安藝さんから、この事件どうしようと振られたので、これは冤罪ですから、なんとかいい開始決定をしましょう。ただ、マスコミが煩いから、できるだけ迅速に進めましょうと言ったら、安藝さん、ものすごく嬉しそうな顔をしてね。

ビールで乾杯したあと、飲みなおそうと言うので、いったん、荷物を置きに裁判所の官舎に帰ってからタクシーで繁華街に繰り出した。行きつけの店を3~4軒梯子しましたかね。飲みながら、やろうな、ということを何度も話し合ったものです」

 

この日の話し合いから2年半後、再審開始決定が言い渡されている。

秋山は「再審開始決定書」のなかで、検察が、茂子を有罪とした「決定的な決め手」は「全て虚構であった」と断罪した。

「徳島ラジオ商事件」は、ラジオがまだ高額電気商品だった戦後のはじめ、いち早く月賦販売制を取り入れ事業を拡大してきた三枝亀三郎(当時50歳)の社屋兼住居に、何者かが侵入。

内縁関係にあった冨士茂子(当時43歳)と、ふたりの間にもうけた娘(当時9歳)とともに寝ていた寝室に踏み込み、亀三郎を刺殺したというものだった。