中島みゆきと桑田佳祐が芸能界で40年生き残ってきたワケ

これだけ浮き沈みの激しい業界で
週刊現代 プロフィール

圧倒的なサービス精神

では、なぜ中島はそんな作詞ができるのか。ラジオ番組『中島みゆきのオールナイトニッポン』の元スタッフで、メディア・プロデューサーの入江たのし氏が言う。

「中島さんは番組放送前にリスナーからのハガキを別室で黙々と読み込んでいました。複雑な家庭環境や男女間の問題など、シリアスな内容のお便りも多かったんですが、一つ一つ真摯に向き合っていたと思います。

みゆきさんは『ラジオの生放送は私にとっての社会の窓なんです』ということをおっしゃっていました。リスナーの悩みに常に寄り添ってきた中島さんだからこそ、いつの時代にも、いろんな世代から共感が得られる楽曲が作れるのだと思います」

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中島自身は、かつてインタビューで自身の歌をこう語っている。

「私は自分の歌が実用品として使っていただけたらいちばん本望。どうぞ台所のおたまや鍋釜のように使ってください」

聴き手の悩みに寄り添う実用品。最新の流行品ではないけれど、人生に不可欠なもの。それは決して廃れない。

 

一方、桑田佳祐については、歌詞やメロディ、味のある歌声の圧倒的な素晴らしさは言うまでもないが、他の同世代のアーティストと比べると、その「サービス精神」が唯一無二なのである。

桑田と小中学校時代の同級生で、「サザンオールスターズ」の名付け親としても知られる音楽評論家の宮治淳一氏が言う。

「中学時代、桑田さんは『内山田洋とクール・ファイブ』が大好きで、掃除時間に教壇の上で即席コンサート会場のように、黒板消しをマイクに見立てて歌って皆を楽しませていました。

いってみればそのときからすでにエンターテイナーで、いまもあのときのまま。ふだんはごく普通の男なんですが、いざ人前に出るとガラッと変わるんです。

桑田さんの原点はビートルズなどの洋楽はもちろんですが、それ以上にいわゆるカバーポップスなんだと思います。

私たちは小学生のときに音楽番組『ザ・ヒットパレード』を見て育ちました。そこでは、洋楽のランキングを紹介し、その曲を日本人アーティストが歌っていた。ザ・ピーナッツや弘田三枝子などですね。

だから、桑田さんは洋楽的な素養を持ちながら、ちゃんと日本人が理解できる歌謡曲を作れるんです。

そして彼の最も凄いところは決して大衆から離れず、ブレがない。『希望の轍』を歌った人が、『マンピーのG★SPOT』なんて普通は作れない。いかに人を楽しませるかを常に考えている」

桑田は日本語のロックを英語に近づけて発音する歌い方を完成させたアーティストでもある。