「私は死んだのですか?」東北被災地で幽霊が出現した意味

生者と死霊の遭遇が意味すること
畑中 章宏 プロフィール

宮城県石巻市で、複数のタクシードライバーが霊と遭遇したという事例は、社会学を学ぶ大学院生の調査としても話題になった。

石巻駅で乗せた30代の女性は、初夏であるにもかかわらずファーのついたコートを着ていた。目的地を聞くと、大津波で更地になった集落だった。

「コートは厚くないか?」とたずねたところ、「私は死んだのですか」と答えるのでミラーを見ると、後部座席にはだれも坐っていなかった……。

夏の深夜、小学生くらいの女の子がコート、帽子、マフラー、ブーツなどの厚着をして立っていた。「お母さんとお父さんは?」とたずねると「ひとりぼっち」と答えた。

女の子の家があるという場所の近くまで乗せていくと、感謝をあらわし降りたと思ったら、その瞬間に姿を消した……。

私自身、被災地になんども足を運んでいるが、霊体験を聞いたことはない。またなにかしらの怪異な出来事に遭遇した経験もない。

しかし被災者や、被災地にゆかりのある人々が幽霊に会ったり、怪異な体験をしたことは、疑いえない事実だろう。

なかには、被災地に訪ねてきた取材者・調査者に、“サービス”として神秘体験を語る場合もあるかもしれない。

また身近にいた人の突然の死に向き合ったとき、その人が夢枕に立ったり、現実世界に現われて、なにかしらの接触をはかることは、大災害時以外のときにも“普通”に起こっていることなのだ。

 

“あの世”からの伝言

民話採集者で、童話作家として『竜の子太郎』や『ふたりのイーダ』などを書いた松谷みよ子は、『あの世からのことづて――私の遠野物語』(1984年・筑摩書房/1988年・ちくま文庫)のなかに、数多くの、現代の幽霊譚や怪異譚を収録している。たとえばこんな話だ。

運転手の無謀運転による交通事故で亡くなった8歳の少年が、そのショックから入院した母親に声をかけた。「コンクールに出す手作り絵本が机の中に入っているから、送ってよ」。

子どもの机の引き出しを夫に調べてもらうと、男の子が描いた絵本が出てきた。その絵本は賞に応募され、入選を果たした……。

小学校6年生の男の子が、浜へ泳ぎに行き溺れ死んだ。来年は中学にあがるはずだった子どものために、親は制服やカバンをそろえていた。担任の先生は、せめて卒業証書をあげてほしいと校長に頼んだが拒まれ、卒業式に写真が参加することだけが許された。

式の直前、友だちが遺影をもって坐っていると、講堂の腰板が外れ、すうっと風が入ってきた。式が終わり写真を返しに行くと、亡くなった男の子の母親が、ちょうど講堂に風が吹いた時間に、玄関の戸が急に開いたという。みな口々に男の子は卒業式に出かけたのだろうと言った……。

こうした霊体験は決して珍しいことではない。親しい人が、突然この世からいなくなったとき、人々は霊と再会し、死んだものもまたこの世に現れるのだ。

霊との遭遇は身近な人にだけ起こるともかぎらない。大震災の被災地を離れても、交通事故現場に立つ幽霊を見ることは不自然なことではないし、死んだはずのものがタクシーに手を上げ、ドライバーが乗せてしまうこともあるにちがいない。

“個別的”な霊体験は、この瞬間にも各地で起こっている。不謹慎に聞こえるかもしれないが東日本大震災では、その数が“圧倒的”だったという違いだけなのである。