5年後の浜辺 最終回:社会の歯車のなかで

復旧事業は生態系をどう変えたか
永幡 嘉之 プロフィール

「縦割り」という厚い壁

これまでの連載を通して、津波によって劇的に再生した自然環境が、最後にはいかにして失われたのかを見渡してきた。では、人間には代わる案は採れなかったのだろうか。

私は決して、堤防あるいは海岸の防潮林がまったく不要だとは考えていない。つくるか、つくらないかの極論ではなく、ほかの選択肢が本当にないのかどうかを考え、ことあるごとに行政担当者や研究者と意見を交わしてきた。

たとえば、海岸林よりも内陸側に堤防をつくれば、砂浜から草原、森林へと移行する環境を残すことができた。砂浜それ自体も、時間をかけて再生させることができた。砂浜に隣接する農地には、半世紀ほど前に売却されるまでは海岸林の一部であった場所が少なからずある。それらを再び海岸林に戻せば、幅広い林を確保できるため、盛り土をする必要もなかった。

たとえ実際につくられたのと同じ規模の構造物をつくるにしても、より低予算で、より自然環境を残す選択肢はいくつもあったのだ。

現実的には議論の余地がなかった理由は、国の機関には、省庁の管轄をまたいだ話はできない、という暗黙の“掟”があったためだ。「縦割り」という、行政が定めた内輪のルールが、一般社会からみれば手出しのできない強大な壁となって立ちはだかっていた。

この5年のあいだにもし、省庁をまたいだ全体の議論ができる機会があったとすれば、それは2011年の津波発生直後から開催された「復興構想会議」だっただろう。このときにもし、海岸線の復旧にあたっては実情に合わせて、省庁の「縦割り」を超えて土地利用の次元から見直す、という1点だけが決まっていれば、復旧事業のあり方はまったく違ったものになっていたはずだ。

今後に残す教訓があるとすれば、未曽有の災害の直後の、国の全体を見渡すべき話し合いの場では、省庁ごとに分かれた管轄などという「縦割りの壁」は取り払って、一元的な議論をすべき、ということになろう。

ところで、名古屋で国際生物多様性条約締約国会議(COP10)が開かれたのは、2010年10月のことだった。そこでは「里山イニシアチブ」という言葉が持ち出され、日本は自然環境の持続可能な利用をもって世界をリードする、という発信がなされた。

それからわずか半年で、その理念は完全に、どこかに置き忘れられた。「復興」という合い言葉の前では、経済性だけがすべてに優先され、公益性――目先の話ではなく、100年先の――についての議論ができる局面は、ついになかった。こうした場面で、社会の限界が見えてくる。

東北らしさは消えた

こうして、津波跡の自然は、人間によって息の根を止められた。

拙著『巨大津波は生態系をどう変えたか』のあとがきで私は、津波跡の砂浜で見た星空のことを、「心の底から美しいと思えた唯一の光景」と書いた。しかし、そのあとの数年間で、美しいと思える自然界の場面を星空以外にも多数、見つづけてきた。

見られる動植物はどれも、それ自体が珍しい種類ではなかった。しかし、砂浜や林、それに湿地をまじえた自然環境が、仙台空港から車で5分という大都市のすぐ近くに広がっていたことこそが、東京や大阪などにはない、そもそもの東北の魅力でもあった。そして、それらは数年間で、ひととおり消えた(10~12)。

(10~12)津波跡に広がっていた海岸湿地が整地され、クロマツを植えるために山から運んだ土で盛り土された(岩沼市 2014~2016年)

自然を前にしたときには、何らかの大きな変化が起こってからでは手の打ちようがなく、「予防原則」という考え方が重要である。しかし、いま私が予測できるのも、東北の海岸線から少なからぬ動植物が姿を消すであろうことまでだ。そのことが間接的にもたらす影響がきっとあるだろうという、漠とした不安はあるものの、それ以上の予測はできない。

連載の後半では、自然環境に対する人間のおこないについて述べてきたが、もうひとつ書いておきたいことがある。

それぞれの復旧事業がどこの省庁によるものかを、今回、あえて書かなかったのは、安易に“悪者”をつくりあげて批判するような方向に話が向くことは避けねばならないとの強い思いからだ。

それぞれの現場担当者は懸命だったし、早く復旧をと世論に急かされ、さまざまな社会的要求のなかで板ばさみになりながら、肉体的にも精神的にも過酷な日々を過ごしていたことを、それなりに知っている。

まずかったのは、あくまでも社会の歯車のしくみなのだ。「不適切な復旧事業を教えてください」という問い合わせを複数のメディアから受けた際にも、時間をかけて背景を丁寧に話したうえで、社会構造の問題点を指摘するにとどめてきた。

(13)海岸のクロマツ林に咲いたヤマユリ(亘理町 2013年7月)
(14)セマダラコガネ
(15)セグロアシナガバチ
(16)ヒメコガネ
(17)オオカマキリの幼虫
(18)ミヤマチャバネセセリ

最後にひとつだけ、風景の記憶として、ヤマユリの写真(13)を掲げておきたい。

この場所は林の縁だったので、すぐ手前まで盛り土されたものの、ヤマユリは現在でも残っている。強い香りにつつまれた花には、花弁をかじるもの、蜜を舐めるものなど、さまざまな昆虫が集まってくる(14~18)。海岸でさまざまな花、虫、鳥と出会ったなかでも、ひときわ記憶に残る場面だった。

豊かだといわれてきた東北の自然は、これからどうなってゆくのか。歩き、調べ、問いかける日々は続く。(終わり)

 

東北の自然に魅せられた写真家が問う「真の復興」とは何か。

第1回目の記事はこちら

本連載の先立つ著者の絶望と希望が詳しく語られた『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』はこちら。