5年後の浜辺 第2回:栄えた青、滅びた青

復旧事業は生態系をどう変えたか
永幡 嘉之 プロフィール

息を吹き返した青い眼

メダカやミズアオイが復活した湿地(13)は、もちろん、各種のトンボのすみかにもなっていた。

羽化したばかりのアキアカネ(14)が翅を休め、ミズアオイの花の上をチョウトンボ(15)やショウジョウトンボ(16)が飛び交っていた。片隅には、夕方になると数百頭のアジアイトトンボ(17)が眠りにつくお決まりの場所もあった。ムスジイトトンボ(18)、アオモンイトトンボ(19)、セスジイトトンボなども、場所によってはおびただしい数が発生していた。

(13)ガマの仲間が生えてゆく農地跡の湿地(名取市 2012年10月)
(14)羽化したアキアカネ(名取市 2012年7月)
(15)チョウトンボ(宮城県岩沼市 2012年7月)
(16)ショウジョウトンボ(名取市 2012年8月)
(17)アジアイトトンボ(名取市 2012年7月)
(18)ムスジイトトンボ(岩手県山田町 2012年9月)
(19)アオモンイトトンボ(名取市 2012年6月)

これらのなかに、珍しい種はいない。しかし、開発によって仙台平野には池がほとんど残っていなかったから、海岸に近い水田地帯にはそもそも、生息できる場所がなくなっていた。これだけのトンボの姿を見かけること自体が、湿地が戻らなければ起こりえないことだったのだ。

一方で、絶滅が危惧されていながらも、津波跡で急増したトンボが2種いる。

ひとつは、マダラヤンマ(20)。真っ青な眼(21)をした小型のヤンマで、東北地方では海岸に近い湿地に限って生息する。

もうひとつは、コバネアオイトトンボ(22)。やはり澄んだ青い眼をしており、平野部の湿地に生息している。

どちらもかつては東北各地に広く分布していたのだが、近年では激減しており、なかでもコバネアオイトトンボは、国のレッドデータブックで絶滅危惧I類として挙げられるまでになっていた。

かねてより、水田が開拓される以前の日本の状態を知るため、地理的に近く、生息する動植物の多くが共通しているロシア沿海地方で平野の湿地の探索を続けてきた。

そのなかでは、どちらのトンボも数が多く、普通に見られる種だった。だから、この2種が日本で減少した要因は、近年の水質汚濁もあるにせよ、そもそも土地利用で平野部が水田に変えられ、湿地が消えたことが根本にあると考えるようになっていた。

果たせるかな、津波によって農地の跡に湿地が広がると同時に、細々と生き残っていたこの2種は、仙台平野の海岸に沿って、劇的に分布を広げたのだ。

風に揺れるガマの合間をマダラヤンマが縫うように飛び、水面にはミズアオイの花が咲く。深い緑色の草むらにマイコアカネ(23)の鮮やかな赤が映える岸辺で、よく茂った草の間を注意深く探せば、コバネアオイトトンボが短い距離を飛んでは逃げてゆく。その光景は、私が長年調べてきたロシアの低湿地と酷似していた。

そこには、想像していたとおりの「水田化以前の東北」の自然環境が、部分的とはいえ再現されていたのだった。

(20)マダラヤンマ(名取市 2012年9月)
(21)マダラヤンマの澄んだ青い眼(亘理町 2013年9月)
(22)コバネアオイトトンボ(岩沼市 2013年9月)
(23)マイコアカネ(名取市 2012年8月)
(24)ヤブヤンマ(仙台市 2012年8月)

闇夜の羽化

夕空を飛び交うおびただしい数のギンヤンマに混じって、生き残っていたヤブヤンマや、宮城県では絶滅危惧種とされるネアカヨシヤンマやマルタンヤンマが見られるようになった。津波以前にはギンヤンマ1種だけになっていた仙台平野のヤンマ類は、本来の顔ぶれに戻りつつあった。

(25)ミズアオイの咲く湿地を飛び回るギンヤンマ(名取市 2012年8月)
(26)羽化するギンヤンマ(亘理町 2013年8月)

戦後まもない頃には、子どもたちが空一面に飛び交うヤンマを追いかけたものだと伝え聞くが、水田や水路の整備が進んだ現在では、そのような場面は見られるべくもなくなった。そうした「失われた光景」のひとつが、蘇っていたのだ。

ギンヤンマは日中は湿地に現れ、ミズアオイの咲く水面の上を旋回している(25)。羽化する場面(26)も記録しておきたくて、夜の湿地を繰り返し歩いた。ミズアオイの茎を踏み分けながら、深みにはまらないように闇のなかを歩けば、照らす明かりの先に、羽化して翅を伸ばしてゆくウスバキトンボやショウジョウトンボの姿が次々に浮かび上がる。

ギンヤンマの姿はなかなか見つからないのだが、ガマの茎を這いあがってゆくヤゴを見つければ、あとは気配を消してじっと待つだけだ。みずみずしい翅が伸びゆく様子の撮影が終わって息をつく頃には、時計はいつも午前1時、もしくは2時を回っていた。

だが、もっともヤンマ類の数が多かったのは、津波の翌年にあたる2012年だった。翌年からは排水の進行とともに、幼虫のすみかが消失して大きく数を減じ、2014年になると、特定の数ヵ所を除いてほぼ消えてしまった。

本格化した復旧事業

砂浜では、仮堤防の建設が進んでいた。海岸林でも、瓦礫置き場として利用するため、倒木が撤去されて整地が進行していた。重機の轍の跡が日々、増していくのを目にしながら、自然環境が大きく改変され、失われてゆくことへの不安と焦りが大きくなっていた。

しかし、「復旧」はどのような形で進められるのか、それぞれの省庁から出される情報をできるだけ集めても、それぞれが大急ぎで計画を進めていることがわかるのみで、具体的な計画までは知りえなかった。

工事は、動植物が何も存在しないという前提で進められるのではないか。待っていては手遅れになる、いや、まだ知らないだけで、すでに手遅れなのかもしれない。これほどまでに劇的に再生した自然環境が、何も存在しないという前提のまま消え去ることは、できるかぎり避けねばならないと思った。

具体的な復旧事業の計画を知るべく、関係省庁への問い合わせを始めたのは、津波からほぼ1年後の春だった。その間にも工事は進み(27)、仙台平野に最後に残ったハマナスの脇にも重機が入っていた(28)。

(27)ハマヒルガオの咲く海岸で工事が進む(仙台市 2012年6月)
(28)ハマナスの脇で道路建設が進んでいた(仙台市 2012年6月)

砂浜に再生した植物、営巣しているコアジサシなどの鳥、そしてカワラハンミョウなど昆虫の情報をとりまとめ、砂浜の堤防建設を担当している行政の事務所に出向いたのは、ハマナスの花が盛りを迎えていた晩春の午後だった。(次回に続く)

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