1月19日と20日、長野市の闇夜に浮かび上がるスピードスケート競技場エムウェーブに、それから1ヵ月後にメダルラッシュに沸くことになるジャパンナショナルチームの選手たちの姿があった。
長野五輪のエンブレムが見下ろすこのリンクで、「オリンピック壮行タイムトライアル」と銘打たれたイベントが行われていたのだ。
スタート時間は、平昌での試合スケジュールに合わせて夜の時間に設定され、選手たちは本番さながらの緊張感の中、次々に好タイムを出していった。
私自身もその観客席にいて、髙木美帆選手や、オランダ人のデヴィッド・ヨハンコーチが観客の前で平昌での戦いへの決意を語るのを聞き、その健闘を祈った一人だったので、素晴らしい成果を上げていま選手たちが帰ってきたことには感無量だ。
オリンピック本番のスタート時刻に合わせた「予行練習」はスピードスケート界で初めての試みだった。こうしたことが可能になったという事実は、日本の選手たちがなぜこれほどの成果が出せたのかを示してくれている。
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平昌オリンピックがその20年前の長野以来のアジア開催だった、ということを日本チームが十分に生かし切ったことが勝利の大きな要因だった。
実際に平昌を訪れて身に染みて感じたのは、今回は、日本にとって「準ホーム」のオリンピックだったということだ。
以前の渡部暁斗選手についての記事でも触れたことだが、ノルディック複合に限らず、冬季五輪の種目はすべて欧米発祥のものだ(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54444)。そして普段のワールドカップや世界選手権などの試合もほとんど欧米で行われている。
選手も圧倒的多数が欧米の選手で、欧米の時間帯で、欧米の観客とメディアの前で、欧米の言葉の中で、さらには食事や生活習慣などすべて欧米の文化の中で日本のウィンタースポーツの選手たちは戦っている。
だが今回は違った。
これまで私はさんざんヨーロッパやアメリカ、あるいはイスラム諸国などを取材で回ってきたが、韓国を訪ねるのは15年ぶり2回目のことだった。ソウル以外の地方は初めてである。
そこで今更のようにはっきりわかったのは、韓国は日本に近いという当たり前の事実だった。
まず物理的に近い。
私は今回、2泊3日、それも初日の成田は午後発の日程で訪ねたが、6つの競技を見ることができた。これはもちろん、往復にとられる時間が短いからである。
そして時差がない。これは本当に楽だ。
これまで欧米での時差対策にはありとあらゆる方法を試みてきたが、結局有効な手段は存在しないというのが私の結論である。この負担から解放されるというのはたとえようがないアドバンテージだ。
このことは自国での調整にも活用できる。冒頭の長野での「現地のスタート時間に合わせた」直前のタイムトライアルが実現したのも、時差のない韓国が開催地だったからだ。