2020年「前代未聞の教育改革」で教師の仕事はこう変わる

「正解のない問い」をどう「教える」か
石川 一郎 プロフィール

教育現場の「主役」は誰か

そろそろ本題に入ります。

このスポーツの「コーチ」と「選手」のあり方と、教育現場の「教師」と「生徒」の関係を比較しながら、考えてみたいと思います。

 

2020年の教育改革では、知識詰め込み型の授業を脱却し、「主体的・対話的で深い学び」をすることが目標とされています。ここまで書いてきたように、スポーツの選手は、コーチとの間に、「主体的」で「対話的」で「深く」競技に取り組んでいることは間違いありません。

一方、学校ではどうでしょうか。大学入試合格というゴールが、何となく生徒と教師の間に設定されており、それに対して最も教師が効率的であると考えるやり方に、生徒はある意味盲目的に従っている状況ではないでしょうか。

いわゆる地頭がよく、自ら考える能力が高い一部の生徒を除けば、教師が大学受験というゴールを「指し」、そこに効率的な方法で「導く」ことが、多くの学校現場で横行しているのではないかと感じています。

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この状態を私は、「教師なのに主役感を持ってしまう」と考えます。どういうことでしょうか。

例えば、次のような話を職員室でする教師が、少なからず、どの学校でも数人は存在します。

「自分が担任した学年で○○大学に何人合格させた」
「自分が指導した○年度のチームを○○大会で優勝させた」

生徒たちが、何かにおいて素晴らしい結果を残すことは、教師としてとても嬉しいことです。嬉しくてそれを周囲に語ること自体はまったく問題はありません。

問題なのは、「自分が~させた」という感覚であり、またその目指すゴールが、学習においては大学入試だということです。残念なことに、そのような教師は、大概世の中のことを知らないことが多く、「入学させた」と考える大学は、偏差値が高くて人気がある学校でしかないということなのです。

未来社会は大きく変化することが言われています。具体的にどう変化することはまったく予想できないといっても過言ではないでしょう。そんな中、今後教師に求められるスタンスは何でしょうか。

「指導者」でないことは、確かです。何故なら、未来がまったく予想できないのですから、「指して導く」ことは出来ないのです。

私は、今後の教師のスタンスは、前述した「コーチ」であり、「プロデューサー」がいいと考えています。このスタンスで、「主体的・対話的で深い学び」を展開するのです。