いま明かされる、戦中日本軍の「あまりに愚かな」逸話の数々

【特別対談】戦争と歴史を辿る
井上寿一×鴻上尚史

彼は戦後、戦争調査会の調査に対して、「日本とアメリカとは戦争をする理由なんて全然なかったんだ」と言っています。日本が中国に進出したこと自体は日米開戦の原因にならない。満州事変を拡大させない方針を固めて、例えば小満州に独立政権を作り、形式的に主権は中国にあるという妥協点を作り出せば、中国ともギリギリで折り合えた。「だから最後まで戦争回避の可能性はあったんだ」と渡辺は言っています。

現代の外交史研究ではそれが定説になっていますが、渡辺がそれを敗戦直後から言っているという先見性は驚嘆に値します。

一方の岡田は陸軍の戦備課長でありながら、日本軍の仏印進駐に反対していた。忘れられているこの人たちを現在に蘇らせたい。当時、こんなことを考え、発言していた人がいたんだよ、と今の人たちに伝えたい。そういう気持ちが根底にあります。

鴻上: 佐々木友次さんにしても、渡辺銕蔵・岡田菊三郎にしても、現実を自分の都合のいいように捻じ曲げて解釈するのではなく、現実を客観的、合理的に把握できる人たちですよね。やっぱりそういうものの見方ができる人に魅力を感じるわけですよね。

私の本には、美濃部正さんという海軍少佐が登場します。1945年(昭和20年)2月下旬、作戦会議の席上で「全軍特攻化」の方針の下、「赤トンボ」と呼ばれた練習機も特攻に駆り出す方針が発表されると、席次が最も下だった美濃部少佐は猛然と反対するわけですね。敵機のグラマンの最大時速が600キロ、それに対する布張り複葉機の赤トンボは200キロ。とても太刀打ちできない。特攻兵の命と練習機を無駄にするようなものだと。

とたんに参謀から「必死尽忠の士が空をおおって進撃するとき、何者がこれをさえぎるか!」と一喝され、美濃部少佐はすぐ反論しました。「私は箱根の上空で(零戦)一機で待っています。ここにおられる方のうち、50人が赤トンボに乗って来て下さい。私が一人で全部たたき落として見せましょう」と。これでみな黙ってしまったそうです。

観念や精神論がまかり通った軍部の中にも、「ダメなものはダメなんだ」と、リアルな、実証的なものの見方を貫いた人も少数派ながらいたんですよね。

井上: 鴻上さんは美濃部少佐の発言を「勇気ある発言」としてそこに「日本人の可能性を感じる」と書かれていますよね。私も同じように、渡辺銕蔵や岡田菊三郎の存在に日本人の可能性を感じました。

 

日本軍の腰が抜けるほどの愚かさ

鴻上: もう一つ、日本軍の愚かさを象徴するエピソードが先生の『戦争調査会』で紹介されていますが、レーダー開発に関わる特許を、日本はなぜか期限切れにしてしまったと。

井上: レーダー研究は日本が英米に先行している部分が多かったのです。ところが日本は、八木秀次が持っていたレーダー技術の特許を期限切れにしてしまった。八木秀次とは、戦時中技術院総裁で、八木アンテナの発明で知られる研究者です。

お陰で米英は八木の技術を最大限生かして研究開発のアクセルを踏み込んで、日本よりも先に実戦配備したのですね。これで戦局に大きな影響が出ました。

機首に八木・宇田アンテナを装備しレーダーを搭載した、日本海軍の夜間戦闘機、月光11型(Photo by Wikimedia Commons)

鴻上: なぜ日本は八木さんの特許を守れなかったんですか?

井上: 本には詳しく書きませんでしたが、実は海軍の担当者による八木氏への嫌がらせなのです。「レーダー開発は海軍がやる。お前の特許は必要ないんだ」というわけです。もっと言うなら、「海軍が開発をしているのに、お前に特許を独り占めされたくない。お前の許しを得ないとレーダーが開発できないんじゃ困るんだ」ということなのです。

同時に陸軍も開発に乗り出しているのですけど、互いに情報交換もしないで、それぞれがやっている。こんな合理性を欠くことをしているうちに、英米に先を越されてしまったのです。

鴻上: そうか。日本軍がイギリス領だったシンガポールを占領し、レーダーに関する書類を押収してみると「YAGI」という文字が並んでいる。「このYAGIってなんだ?」という話になって、捕虜に聞いてみたら「そりゃあ、日本人技術者の八木さんのことでしょう」と言われて日本人がびっくりしたという有名な逸話が残っていますけど、その裏には軍部の、そういった腰が抜けるほどの愚かさがあったわけですね。

井上: そうなのです。

東京裁判と戦争調査会

鴻上: そもそも井上先生は、なぜ戦争調査会が残した文書に興味を持ったんですか。

井上: 東京裁判を巡っては、いまも賛否両論があります。「文明の裁き」として肯定的に受けとる意見と、「勝者の裁き」であるとして否定的に受けとる意見です。

だけど私は、日本人自らが戦争の原因を追究してこなかったことが最大の問題だと思うのです。戦争調査会は、不十分ながら、それが試みられた組織でした。その存在は以前から知られてはいましたが、バラバラに存在していた資料が2015~16年に15巻の書物にまとめられたのです。そこで、この際、系統的に読んでみようと思ったのが始まりでした。

ところが、これは予想以上に難しい作業でした。当初は、「どのページを見ても初めて知るような事実がザクザク書いてあるのだろうな」と期待していたのですが、全然違いました。長野県の一地方における戦時中の中小企業の運営状況や統制状況を調べていたりする。「なんでこんなこと調べているのかな」みたいなものもたくさんあったのですね。

それをじっくり読んでいると、東京裁判のような犯人探しをしているのではなく、戦時経済の状況を含めて、なぜ日本が戦争に向かっていったのかを構造的に解き明かそうという試みがなされているのだなと気づきました。だから地方の中小企業の実態まで調べる必要があったのだろうなと思います。

鴻上: 私も『戦争調査会』を読み砕くのに時間がかかりました。戦争が起こる構造というのはそれだけ複雑なことなんだと思うんですけど、この複雑な構造の本がこれだけ売れるというのは、この国も捨てたもんじゃないなと思いましたよ。

井上: 私もそんなに売れないと思っていましたので、そこはうれしい誤算です。

鴻上: ねえ(笑)。