女王の夫が「王」とは限らない…王配殿下たちの知られざる「苦悩」

男子皇族が少ない日本に訪れる未来?
君塚 直隆 プロフィール

実は、殿下はもうここ何年にもわたって、王室内(さらには国内)における自らの立場について不満を漏らしていた。それは国内外の週刊誌のインタビューでも伝えられた。

「私はロスキレに埋葬されるために女王と結婚したわけではない。たしかに妻は女王になると決断した。そのことは私も喜んでいる。しかし人間として、夫婦になるということは、男女ともに平等を意味することを、彼女は知るべきなのだ」

「もし自分の傍らに眠って欲しいのであれば、私を王配陛下に叙さなければならない」

〔PHOTO〕gettyimages

「女王の影にしかすぎない」

ヘンリク殿下はもともとデンマーク人ではなく、フランスの名門貴族モンペザ伯爵家に生まれたフランス人であった。1934年に生まれると、父の事業の関係で当時フランス領だったベトナムに移り住み、ここで5年間生活した。

第二次世界大戦後に再びベトナムで中等教育を受け、その後はパリと香港でベトナム語と中国語を修得した。

アルジェリアでの兵役を経て、外交官に転じた彼を運命の出会いが待ち受けていた。1963年にロンドン駐在のフランス大使館員として赴任したとき、イギリス留学中だったデンマークのマルグレーテ王女と恋に落ちたのである。

 

1966年に2人は婚約し、翌67年6月10日、コペンハーゲンで盛大な結婚式を挙げた。その後、2人はフレゼリク(1968年生まれ)とヨアキム(69年生まれ)という男の子に恵まれた。

結婚から5年後(1972年1月)に、妻は「マルグレーテ2世」として王位に即いた。ヘンリクも赤十字や世界自然保護基金(WWF)など、国内外の様々な団体の会長や総裁職を実に140以上も務めて、女王を支えた。日本にも「国賓」として妻とともに2度(1980・2004年)公式に訪れている。

しかし彼は「国王(King)」ではなかった。尊称も「陛下(Majesty)」ではなく「殿下(Highness)」となる。普通なら、国王の妻は「王妃(Queen)」であり、尊称も「陛下」であるが、女王の夫は「王」とは限らないのだ。

このため、ヘンリクもデンマークの政治に関与することはできなかった。政府の公式文書さえ読むことは許されない。自分は「女王の影にしかすぎない」と思うようになった。

そのようなヘンリクがついに不満を爆発されるときがおとずれた。2002年1月のこと。

コペンハーゲンでは新年早々に恒例の各国外交団との晩餐会が宮殿で開かれる。この年はマルグレーテ女王が出席できず、代役を当時33歳になっていたフレゼリク皇太子に任せることにした。これにヘンリク殿下がショックを受けたのである。

「自分はこれまで女王に次ぐ二番手だと思っていたのに、ある日突然、三番手に格下げされてしまったのだ」

失意のヘンリクは生まれ故郷南仏の城館に閉じこもってしまった。夫の苦悩に気がつかなかった女王はあらためてお詫びし、夫もようやく帰国した。