「福島は危険だ」というフェイクが、7年経っても県民を傷つけている

「デマ」を信じている国民がまだ半数
林 智裕 プロフィール

情報が正しく伝わらないことによって、リスクを正しく比較するための「拠り所」が失われ、死者も含めた犠牲は拡大してゆきます。

たとえば原発事故後に専門家がよく使っていた「低線量被曝の影響はまだわからない」という「脅し文句」も、本来は「どんな影響があるか未知数」ではなく、「低線量被曝による影響はあまりに小さいので、ありふれた他の様々なリスク要因と区別して考えることが難しい」という意味でした。

 

しかし、その言葉が誤解、あるいは恣意的に曲解されて、低線量被曝のリスクは「正体不明の巨大なリスク」であるかのように喧伝されました。それによって、多くの被災者が正常なリスク判断をできなくなり、そればかりか、よりリスクの高い選択をしてしまうケースもありました。

震災直後には、確かに判らないことも多くありました。しかし7年の間に明らかになったことは沢山あり、また被災地が直面している問題も、時間の経過とともに変化しています。

いつまでも情報をアップデートせずに、

「放射線がもたらす悪影響の全貌は、まだわからない」

「予防原則が大切だから、『念のため』で行動せよ」

「『両論併記』で幅広い、慎重な議論を」

「警鐘を鳴らしただけだ。何事にも問題提起は必要だ」

「素朴な不安に寄り添え」

「全ての判断それぞれが正しい。多様な考えを尊重しなくては」

など、震災直後と同様のことを言い続けるのは、たとえそれが中立的・理性的であろうとする誠実な態度や善意からの言葉であったとしても、現在ではすでに逆効果です。

それらの言説は、とっくに否定されたデマを温存するための口実に使われたり、被災者の生活再建に向けた政策合意を遅らせる要因になったりと、被害を一層拡大させる足枷にもなっています。

福島に関する情報の「アップデート」がなかなか進まないことが、社会の様々なところに影響を及ぼしているのです。

問題を「終わらせる」という視点

たとえば甲状腺検査については、冒頭で述べたように、福島では実際の被曝量がきわめて小さいことがすでにわかっており、UNSCEAR(国連科学委員会)も「被曝の影響で甲状腺がんが増加しているわけではない」としているほか、現在ではむしろ「検査を拡大すること」に伴う弊害も指摘されています。

にもかかわらず、甲状腺がんに関する正確な報道もされず、検査によるデメリットの充分な周知が当事者にすらなされないまま現在も検査は続いており、どこかで止める目途も立っていません。

こうしている間にも、検査を受ける子どもたちの心身には、大きな負担がかかっています。これは1964年に制定された「ヘルシンキ宣言(人間を対象とする医学研究の倫理的原則)」(http://www.med.or.jp/wma/helsinki.html)に違反しているとの指摘もあり、もはや福島の子供たちに対する深刻な人権侵害問題へと発展しています。誰が、いつ、どうやって、この状況を終わらせるのでしょうか。

「議論を引き延ばすためのコストを支払っているのは誰なのか」「議論はそもそも何のため、誰のために行われているのか」「その議論は結局、何を犠牲にして何を助けるのか」という視点が、今までの議論には大きく欠けていました。そのことが、震災から7年間の犠牲をさらに大きくしてしまったと言えます。

事実が明らかになった問題や、おおむね結論が出た問題に関する議論は、「適切に終わらせる」ことが必要不可欠です。

日本が民主主義国家である以上、渦中にいる関係者自身は、まさに「関係者」であるがために私情をはさめず、意思決定に関われないことがあります。福島の情報がきちんとアップデートされ、世論が変わることでしか、変えられないことがあるのです。