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安倍首相の愛読紙が朝日と日刊ゲンダイと思われる「これだけの証拠」

どうやらかなり熟読している模様

このネタはウケる

トランプ大統領が「フェイクニュース大賞を発表」という虚虚実実なニュースが1月にあった。

それに反応したのは『産経新聞』の名物コラム『産経抄』(1月20日)。

《「国内でフェイク大賞をあげるとしたら、思いつくものは」。18日の記者会見で、小紙記者に問われた菅義偉官房長官は「いろいろ思い当たる節はあるが、コメントは控える」と苦笑していた。米政府に比べ、日本政府はマスコミに優しい。》

産経抄、なにやら含みがある。続けて読んでみると、

《一方で、インターネット上の言論を追うと、マスコミへの批判は年々高まるばかりである。新聞やテレビの報道自体が、一定の政治的意図を持ったフェイクではないかと疑われ、あるいは確信されている。朝日新聞の慰安婦報道をはじめ、そう指摘されて仕方ない部分も確かにある。》

産経は菅官房長官に『朝日新聞』発の森友・加計報道を日本のフェイク大賞と言わせたかったのかもしれない。コラムのタイトルは「新聞記事そのものが、今やフェイク視されている自覚が欠落」

しかし約2週間後、『産経新聞』の一面に『沖縄米兵の救出報道 おわびと削除』が載った(2月8日)。

いったい何があったのだろう。

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《12月9日に配信した「危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動スルー」の記事中にある「日本人を救助した」は確認できませんでした。現在、米海兵隊は「目撃者によると、事故に巻き込まれた人のために何ができるか確認しようとして車にはねられた。実際に救出活動を行ったかは確認できなかった」と説明しています。

記事は取材が不十分であり削除します。記事中、琉球新報、沖縄タイムスの報道姿勢に対する批判に行き過ぎた表現がありました。両社と読者の皆さまにおわびします。》(『産経新聞』2月8日)

12月9日の産経ニュースは「米海兵隊員の日本人救助」を報じない沖縄の地元紙について次のように非難した。

「勇気ある行動は報道に携わる人間なら決して看過できない事実。『報道しない自由』を盾に無視を続けるようならメディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」

 

ところが「米海兵隊員の救助」は無かった。警察になぜ確認しなかったのか。読者はそう思う。

検証記事を読むと、

《本紙那覇支局長は「トルヒーヨ氏の勇敢な行動がネット上で称賛されている」との情報を入手。救助を伝えるトルヒーヨ夫人のフェイスブックや米NBCテレビの報道を確認した上で米海兵隊に取材した。この際、沖縄県警には取材しなかった。》(2月8日)

一番知りたい理由が「沖縄県警には取材しなかった。」という一言で終わっていた。

私は新聞が偏っているのは当然だと思っていて、だからこそ「同じものを見ているのにこんなに見え方がちがうのか」という面白さを日々楽しんでいる。感謝している。『朝日』と『読売』、『産経』と『東京』なんかの読み比べをするとワクワクする。でもそれは「同じものを見ている」前提であって、「ないもの」で論陣を張られたら興ざめだ。

2014年9月11日、朝日新聞社の木村伊量社長(当時)が謝罪会見を行い、「記者の思い込み、記事のチェック不足が原因」で記事を書いてしまったと「吉田調書スクープ」の誤りを認めた。「福島第一の原発所員、吉田所長の命令に違反し撤退」という内容が誤報であったという件だ。同じ年には慰安婦報道を検証し「吉田清治証言」を取り消した。いわゆる朝日の「W吉田」誤報である。

このときの朝日も、今回の産経も、共通するのは「事実よりイデオロギー、メッセージを優先してしまった」ことだろう。「自分の見たい風景」に興奮して嬉ションしてしまい、事実確認をスルーした。

今回、産経が「米海兵隊員が日本人を救助」という“美談”を知って「この事実をなぜ沖縄の新聞は報じないんだ」とたかぶったのは容易に想像できる。もっと下世話に言うなら「このネタはウケる」と思ったのだろう、自身の読者層に。