チベット探索中、中国人官僚の高級車に乗せられた結果…

中国一の「危険地帯」かもしれない
青山 潤三 プロフィール

「外国人は立ち入り禁止」の時も

国道318号線を、四川盆地からチベット高原に入ると最初に通る都市が康定です。その市街地は、標高約1300mの渓流(長江の一大支流「大渡河」。野生生物の研究者ならば誰もが憧れる場所です)と4200m余の峠の中間、標高2700m付近にあります。

筆者が康定を初めて訪れたのは29年前で、その頃はチベット民族が住民の大半を占める、良くも悪くも素朴な田舎町でした。それがいまや、大量の漢民族の移住者とともに巨大な都市へと変貌しつつあり、険しい山中まで新興住宅街として開発され、氷雪の峰々を背にビルが林立するありさまです。

康定の次の町が雅江、その次が理塘、最後が巴塘。理塘は標高4000m超の高原都市、雅江と巴塘は南北に流れる大河に沿う町です。巴塘はチベット自治区との境界で、外国人はここから西に向かうことはできません。

中央の小さな町が理塘

成都のユースホステルに滞在する外国人バックパッカーたちの多くは、このボーダーを突破することを目論んでいますが、成功例は、まず聞いたことがありません。成都からラサへどうしても行きたければ、高額な代金を支払ってパーミットを取得し、西安からの列車で北へ大回りして向かうか、飛行機を利用するしかありません。

当局は、外国人旅行者が観光ルート以外の道のりを行き、周辺に住むチベット民族と個人的に接触することに対して、きわめて敏感になっているのです。もっとも、中国人にその話をすると「ラサも同じ中国なのだから、そんなわけないだろう?」と、多くの人が不思議がりますが…。

お金をかけて無理にチベット自治区に向かうくらいなら、比較的自由に行動できて、実質的にはチベット文化圏である四川省西部や雲南省北部をめぐるほうが、ずっと有意義だというのが筆者の考えです。

また理塘や雅江では、しばしば暴動が起こります。その度に外国人はオフリミット(立ち入り禁止)になってしまいます。むろん、そのような事態になったときは、これらの街の方面に向かうバスの切符さえ売ってくれません。

ちなみに5〜6年前までは、ノービザ滞在期限が切れた場合、香格里拉や康定の役場の窓口で、簡単に1ヵ月滞在延長の手続きが出来ました。大都市の場合は1週間前後かかる更新が、僅か数時間で可能だったのです(最近は厳しくなり、更新自体ほぼ不可能)。

それでも一応滞在の理由をつけないといけません。チベット省境をうろつくことを匂わせたらダメ。外国人が観光ルート以外でチベット自治区に向かうことを、過剰なほど快く思っていないのです。

 

チベットの人々の本音

筆者はチベット族の地元住民と何度も接触したことがありますが、彼らは「漢民族の前で本心を表すのはマズい」と十分に承知しています。

彼らは中国人(漢人)旅行者には、表面上はまあまあフレンドリーに接しています。旅行者たちのほうも歓迎されていると思っているのですが、とんでもない。チベット族の人々は、相手が日本人だとわかると、それはもう堰を切ったように本音を吐き出すのです。どの人も異口同音に、漢民族に対する思いを吐露します(具体的に書くのは、少し憚られるほどの)。

筆者が最初に理塘を訪れたときは、康定〜理塘の路線バスに乗り、途中の八角楼すぐ手前にある標高4600mの峠でバスを乗り捨て、パルナッシウス(ヨーロッパに生息するアポロチョウの仲間)などの高山蝶の撮影に取り組みました。

午後3時頃、そろそろ撮影を終えて先に進もうと思ったのですが、甘かった。バスはなくなり、ヒッチハイクをしようにも、なかなか車が通りません。やっと一台のトラックに乗せてもらうことに成功しましたが、目的地は理塘まで残り10数キロの集落でした。

筆者がタクシーに乗った理塘の隣村。ほとんど映画の世界だ

地元のタクシー(と言えるかどうかも怪しい車)に乗り継いで、理塘に到着したのは真夜中の0時近く。外国人が泊まれるホテルは、もう閉まっています。ですが、1階の片隅から明かりが漏れていたので、意を決してドアを叩いてみました。

すると、流暢な英語を話す、若く美しいチベット人女性が出てきました。

このとき筆者は疲労に加えて、のろのろ運転のトラックの運転手や、ぼったくろうとしてきたタクシーの運転手に腹を立てて(夜間に得体の知れない日本人を乗せてくれただけで、本当は親切なのですが)いたものですから、本来なら遅くに着いた事情を説明したうえで「泊めてもらえますか?」と言わねばならぬところ、いきなり「中国人は嫌いだ」と口走ってしまいました。

しまった、と思ったのですが、彼女は笑いながら「私もよ!」と言い、快く泊めてくれました。

石積みで造られた独特な家々

後々わかったことですが、彼女の両親は地元の有力者で、当時20代半ばにしてホテル経営を任されていました。学生時代にイギリスに留学していたため、英語がとても上手なのです。

筆者はそのあともたびたび理塘を訪れ、彼女には、地元で行われる伝統的な「鳥葬」を見学させてもらったり、周辺のドライブに連れて行ってもらったり、ずいぶんお世話になりました。4年前、わけあって筆者が康定の病院に入院したときは、見舞いにも来てくれました。それ以来会っていませんが、理塘や雅江近くでの暴動やテロが報道されるたびに、今でも心配になります。