「さっとん」こと宮原知子がじわじわ人気上昇中なワケ

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青嶋 ひろの プロフィール

アジアンテイストを突きつめた

今季の宮原は、左股関節の疲労骨折から復帰し、グランプリシリーズからファイナル、全日本と、ジャンプも徐々に戻していった。それと同時進行で、彼女の持ち味である繊細な音楽表現、身体表現に磨きをかけていき、ここに作り上げたのがショートプログラム『SAYURI』だ。

 

ドラマチックな音楽に乗り、演じたのはたおやかだが芯の強い日本女性。織物のように、絵巻物のように、四肢をいっぱいに遣って一幅の物語を紡いでいく。

女子フィギュアスケートには、様々な表現がある。ショートプログラム、20カ国30人の選手たちを通しで見た方には、クラシカルなバレエのような表現あり、力強く現代を生きる女性を描く選手あり、民族性を強く打ち出したプログラムあり……さまざまな女子スケーターの個性を感じられただろう。

しかし「何でもあり」の男子シングルに比べれば、女子は表現の幅が広くはない。たとえば道化を演じるなど、コミカルなプロフラムは女子選手には見せにくい。表現は自由なはずだが、女性らしさというものにどうしても縛られる部分はあり、男子に比べれば女子の「王道」はとても細い、すぐにはみ出してしまう道だ。

たとえば今大会、下位の選手にパンツ姿がちらほら見られ、どの衣装も素敵な個性を演出していたが、2004年にルールで女子のパンツが解禁になってから、ここまで浸透するのにずいぶん時間がかかった。パンツでは女子のフィギュアスケートらしくない、と、年配ジャッジの受けも悪かった、と言われている。現在も上位陣はほとんどがスカート姿だっただろう。

フィギュアスケートといえば女子、と一般的には思われているが、テレビで見るに飽き足らない観戦者たちには、個性が豊かに出せる男子が人気。

Photo by Gettyimages

それは、現在のように日本男子が台頭する前からのことだ。長野五輪のころはキャンデロロ、その後はロシアのヤグディン、プルシェンコ、スイスのランビエール……集客力を持つのは、いつも男子選手だった。

でも女子だって、バラエティに富んだフィギュアスケートが見たい。その点では今の時代、女子シングルにとって大きなチャンスでもある。男子が壮絶な4回転時代に突入し、どの選手も個性やプログラムの魅力を発揮しきれなくなった今。

女子は3回転―3回転の難度を競い、単独ジャンプはトリプルルッツまでが標準。そこまでジャンプミスの心配も大きくなく、男子ほどはプログラムを犠牲にせずに済むのだ。男子のみどころがジャンプ中心になり、アートとしてスケートを楽しみたい人が離れている、今。「女子のほうが見ていて楽しいな」とファンに言わしめる、そんなチャンスがこの平昌五輪だ。

そのなかで宮原知子が見せたのは、アジアンテイスト、和の風味をとことん打ち出したプログラム。

これまでにも長野五輪銅メダリストのルー・チェン(中国)など、アジア人としての魅力で愛された選手はいたが、京都生まれの宮原の『SAYURI』は、さらにもっと突き詰めたものだ。これまでも13‐14年の『戦場のメリークリスマス』、14‐15年の『ミス・サイゴン』と、アジアをテーマとしたプログラムは何度も滑っているから、宮原=アジアの踊り子のイメージは浸透し、板についている。

さらにあの小さな身体で見せる、アジア人のたおやかさ、芯の強さを確固とした個性として見せてしまった。

「私はメリハリをつけた激しい動きをするより、ちょっと落ち着いたしっとりした動きのほうが得意なので……そこを生かせるのが日本らしいプログラムかなと思います」(五輪代表決定後のインタビューより)

細やかな心の綾を、究極まで繊細に手足の表現に乗せる。手のひらにのるほど小さいけれど、とびきり愛らしくて味わい深い和菓子のように、極めてアジア人らしい、日本人らしい表現だ。フィギュアスケートの美しさにとことんこだわった濱田美栄コーチに、じっくり時間をかけて鍛えられた宮原の個性は、平昌五輪で結実したといえるだろう。