絵・米田​絵理

ダークホースかもしれない隕石衝突

生命1.0への道 第3回
約46億年前に誕生した地球は、今から約50億年後、赤色巨星化した太陽に飲みこまれるという。つまり我々の惑星は、生涯の半ばにある。一方、そこに誕生した「生命」は、現在40億歳くらいだと言われている。

しかし太陽の明るさが今より10~15%増大する約10億年後、地球の海は干上がり、水蒸気の温室効果で気温は1000℃以上になってしまう。おそらくそこで、この惑星は不毛の世界となる。つまり地球の生命は、晩年にさしかかっているのだ。人間の一生に換算すれば、だいたい80歳くらいと言えよう。

それ故か生命は、我々人類の頭脳をもって、しきりと来し方を振り返るようになった。自分はどこから生まれ、どこへ消えていくのか?

絵・米田​絵理
その探求自体が近年、急速に進化しつつあり、場合によっては自ら生命を創造しかねない勢いだ――そう気づいた筆者も人生半ばをとうに過ぎた。置き去りとならないうちに、どこまでわかったのか、わかりつつあるのかを追いかけてみたい。

第2回の最後でお願いしたアンケートだが、回答数がまだ少ないようだ。ブルーバックスのサイトがしばらくメンテナンス中だったこともあると思うので、もうしばらく待ってみたい。

「地球の生命は、どこで誕生したと思いますか」という質問に対して、1月10日現在では「地球の海中(熱水噴出域など)」が6割近く、「地球の陸上(温泉地帯など)」と「彗星や小惑星」が、同列でそれに続いている。

「がらくた生命」vs.「RNA生物」

前回、生命がどこで誕生したのかという問題について「海底(熱水噴出域)説」と「陸上(温泉地帯)説」の二つを比較してきた。

その続きだが、海底説のメリットとして挙げた中に「(2)メタンやアンモニア、硫化水素などの還元型分子が多いため、有機物ができやすい」と「(4)熱い場所から冷たい場所まで、さまざまな温度環境がある」があった。

これに対応する陸上説のメリットには「(2)間欠泉など湿ったり乾いたりする場所があるので、有機物が重合しやすい」と「(4)温泉は100℃以下で海底熱水のような超高温にならず、有機物が分解されにくい」を挙げた。

実は白状すると、陸上説の(4)は僕がでっちあげた。というか山岸明彦さんが「熱水噴出域の超高温環境下では、有機物は分解こそすれ生成はしない」と主張しているのを受けて、それなら陸上は適度にぬるいからOKということなのだろうと「忖度」したのである。第1回に登場したフラスコ火花実験のスタンリー・ミラーも、山岸さんと同じ考えだったらしい。

その主張に対する小林憲正さんの反論が、海底説の(4)ということになる。

確かに海底の熱水は時に300℃を超える。こうなるともはや水は気体でも液体でもない「超臨界」と呼ばれる状態になって、有機物の生成力も分解力もパワーアップすると考えられるが、山岸さんの見立てでは分解力のほうが上というわけだ。

しかし、ほんとうに300℃を超えるような場所は限られている。僕が〈しんかい6500〉で温泉卵をつくった話(→第1回)を思いだしてほしい。

熱水噴出孔からちょっと離れれば水温は急激に下がって、卵のタンパク質は茹だって変性はしたものの分解はしなかった。またチムニーに群れているゴエモンコシオリエビの中には、熱水孔から10cmと離れていないところで、気持ちよさげに触角を揺らしている連中もいた。いい湯加減だったのだろう。

写真4 クリアスモーカーの熱水で温泉卵をつくろうとしているところ手前の大きな赤っぽいカニはイバラガニの仲間。その背中あたりに見える小さなエビは、ツノナシオハラエビの仲間。第1回に掲載したもの

超臨界状態で生成した有機物も、すぐにそういう場所へ避難できれば、分解を免れて保存されるだろうと小林さんは考えている。この過程を「クエンチ(急冷)」と呼ぶ。

そして小林さんを含む何人かの研究者が、熱水噴出域を模した研究室内の環境で実験したところ、少なくともアミノ酸や、それが数個つながったペプチドの生成する可能性は示された。

「それでも」と山岸さんは断言する。「海底で核酸(RNA)が生成されることはありません」。

小林さんもアミノ酸がつながったタンパク質に比べると、RNAがとても熱に弱いことは認めている。そして海という環境には、もう一つの弱みがある。それは乾いた場所がほとんど、あるいはまったくない、ということだ。

当たり前といえば当たり前なのだが、実はヌクレオチドがつながって核酸となるのに水は邪魔なのである。「脱水縮合」といって、ヌクレオチドどうしは水分子を捨てながら結合していく。逆に「加水分解」といって、周囲に水があるとヌクレオチドの結合は、むしろバラバラになってしまう。

そしてヌクオチドができるためにはヌクレオシドとリン酸が脱水縮合しなければならず、さらにヌクレオシドができるためには核酸塩基と糖が脱水縮合しなければならない。

つまり核酸を生成するまでに、水分子を3回にわたって捨てなければならないのだ。アミノ酸がつながってタンパク質になるのも脱水縮合なのだが、こちらは1回だけなので、まだましである。

一方で温泉地帯ならば一時的に水が溜まって有機物が蓄積し、その水が蒸発していく過程で脱水縮合していけるような場所が、いくらでもありそうだ。それが陸上説のメリット(2)というわけである。しかし、ここで議論が終わったわけではない。むしろ別の次元に入っていく。

山岸さんにインタビューをして感じたのは、とにかくRNAにこだわっていることだ。これがなければ話は始まらない。

熱水噴出域でいくらペプチドや、よしんばタンパク質ができたところで、RNAができなければまったく無意味なのである。それは生命が誕生する過程に関して「RNAワールド」と呼ばれる有力な仮説を、強く支持しているからだ(図1)。

図1 山岸さんによる生命誕生とRNAワールドの進化(山岸明彦『アストロバイオロジー』を改変)

現在の生物の体では、タンパク質が主に「代謝」を、核酸(DNAとRNA)が主に「自己複製」を担っている。代謝というのは平たく言えば、食物(有機物)を食べて消化し、それをもとに生命活動を営んだり、体をつくっていったりする働きである。

一般的に植物は有機物を食べないが、二酸化炭素と水をとりこみ、太陽光のエネルギーを「食べて」代謝を行っているとみなせる。

自己複製は次世代に情報を伝達することである。

しかし、こういう分業はDNAが登場したあとにできたことで、生命が誕生したころは代謝も自己複製もRNAが一手に引き受けていた、そういう世界がしばらく続いた、とするのがRNAワールド説だ。

DNAはRNAより安定な物質で、情報の保存や伝達にはより適している。しかし代謝を行う能力はなく、タンパク質(酵素)の助けがなければ他のタンパク質をつくることはできない。

もちろんタンパク質はタンパク質だけで(通常は)増えていくことができない。これだと生命の誕生を考えた場合「卵が先か、ニワトリが先か」という問題が起きてしまう。

しかし初期の生命はタンパク質を持たず、RNAが細胞膜(リン脂質によってできた袋)をかぶったようなものだったとすれば、矛盾は回避できる。これが進化の過程で代謝効率のアップや、情報伝達の安定性などを追求していった結果、現在のようなシステムになったというわけだ。

山岸さんが「生命」とするのは、この「RNA生物」からだ。

それ以前は何か生き物っぽいものがあったとしても「単なる高分子」である。科学的に「とりあえず」生命を定義しようとなった場合「自他を区別する境界があり、代謝と自己複製をする」という特徴を使うことが多い。近年は、これに「進化する」を加えるようになっている。

いずれにしてもRNA生物は、これらの条件を満たしている。

ほかにも「いや、やっぱりタンパク質が先だった」とする「プロテイン(タンパク質)ワールド」説や、「まず脂質の容れ物ができたんだよ」という「リピット(脂質)ワールド」説、「いやいや、粘土や鉱物の表面で代謝に似た現象が起きたことから始まったんだ」とする「メタボリズム(代謝)ワールド」説などいろいろとある。

しかし現状ではいずれも「境界」「代謝」「自己複製」「進化」の、いずれかの特徴を欠いている。したがって山岸さんの基準では生命の条件を満たさない。また熱水噴出域でいくらタンパク質ができたとしても、核酸ができないかぎりは複製ができないので、生命誕生の場とは認められない。明快である。

とはいえ素人的には、ちょっと息苦しいというか、もう少しユルく考えても許してほしいなあという気がしないでもないのだが、それは僕だけだろうか。

いずれにしても、そういう人には小林さんの「がらくたワールド」説のほうが馴染みやすいかもしれない。「がらくた」というと、あまりイメージはよくないが「ゴミ」よりはマシであろう。そこには古いものや壊れたものなどが含まれているが、うまく選んで組み合わせれば、それなりに使えるものが生じうる。

たとえばある種の金属イオンや有機物は、代謝の一部を担う酵素の役割を、弱いながら果たすことができる。また化学反応の中には、物質Aと物質Bの反応でできた物質Cが、AとBの反応を促進する触媒の役目を果たして、結果的にCが爆発的に増殖していくという現象がある。この「自己触媒反応」は生物の自己増殖に、ちょっと似ている。

一方、数種類のアミノ酸を含む水溶液を熱すると小さな細胞状の構造体(プロテイノイド微小球など)ができたり、熱水に含まれる硫化鉄が海水に混じると小さな泡のような構造をとったりすることが知られている。

このように「代謝っぽい」ことをする物質や「自己複製っぽい」ことをする物質、そして「細胞膜っぽい」ものをつくる物質などが、それ以外の雑多な物質とともに集まって、何となく「生物っぽく」ふるまうようになったら、それは「がらくた生命」と言っていいのではないか。

そして熱水噴出域のような場所で徐々に機能を発達させ、「生命0.0000001」から「生命0.1」そして「生命0.5」というように進化していったのではないか。ごく大雑把に言えば、これが「がらくたワールド」説のシナリオである(図2)。

図2 小林さんによる生命0.0(無生物)から生命1.0(地球コモノート以降)に向かう化学進化(小林憲正『生命の起源』を改変)

この説の背景には、たとえばRNAのように複雑な物質が、生命とはまったく関係なしに、最初からきれいな状態でできる可能性は低い、という見方がある。

何しろ脱水縮合を伴う反応が3段階も必要だし、ヌクレオチドは数百から一億以上もつながらなければならない。

フラスコ内の理想的な条件下で無生物的にRNAを生成した実験はあるが、それは熟練した有機化学者が夾雑物のない高濃度な材料のみを使い、注意深く反応をコントロールした結果なのだという。

また陸上の温泉地帯を想定した実験で、RNAのヌクレオチドとリン脂質の混合物を数十回、湿らせたり乾かしたりしたところ、ヌクレオチドが100近くつながったという結果が得られてはいる。

とはいえ、これも人工的な環境下だし、核酸塩基と糖、リン酸という最初の材料から始めたわけではない。タンパク質もちゃんと機能するものができるには、種々のアミノ酸が決まった配置をとるようにつながらなければならず、とても簡単とは言えない。

おそらくRNAワールドを経ていくような生命誕生のシナリオは、「LEGO(レゴ)ブロック」のキットにたとえられる。つまり最初からスポーツカーができるように選ばれたブロックのみが集められていて、それを手慣れた人がマニュアル通りに組み立てていくようなイメージである。

一方で、がらくた生命のシナリオは、雑多なブロックが山積みにされていて、スポーツカーの完成図だけをもとに初心者が試行錯誤しながら組み立てていくイメージではないだろうか。

最初はたぶん「これが車?」というような代物ができあがる。しかし少しずつブロックを取り替えたり、あるいは組み合わせを変えたりしているうちに、だんだんと洗練された形になっていく。

実のところユーリー=ミラーの実験などで生成したアミノ酸にしても、隕石で見つかったアミノ酸や核酸塩基にしても、それ自体が単体で得られたわけではない。フラスコの底に溜まっていたものとか、石の中から取りだしたものは、さまざまな物質が混じり合ったものであって、それを加水分解してみたらアミノ酸や核酸塩基が出てきたのである。

逆に言えば種種雑多な寄せ集めの「がらくた分子」の山に、アミノ酸や核酸塩基になりうるもの(前駆体)が埋もれていたのだ。つまり自然な条件の下だと、生命の「キット」は存在しないのかもしれない。

小林さんは一酸化炭素と窒素、水蒸気からなる弱還元的な原始大気のモデルに陽子線を当てて(写真1、写真2)、生成したがらくた分子を熱水噴出孔の模擬装置(写真3)で加熱し、クエンチしてみたところ、疎水性のある(つまり水から独立した)凝集体を得た。これが、がらくた生命の出発点である。

最終的にはやっぱり、この状態から進化して、きれいな核酸やタンパク質ができてこなければならない。今のところ、その道筋は霧の中である。途中でいくらRNAっぽい物質や、タンパク質っぽい物質が登場したとしても、山岸さんから見れば単なる高分子に過ぎない。

写真1 陽子線を射出するタンデム加速器のビームライン(東京工業大学)
写真2 模擬大気を詰めた容器を陽子線の射出孔に取りつけているところ
写真3 熱水噴出域を模擬した実験装置(フローリアクター)

生命がどこで生まれたかという問題は、つまるところ生命とは何かという定義や、どのようにできていったかというシナリオによって、変わってくるということだ。