巨匠・篠山紀信が「いまの福島第一原発」で目にしたもの

未曽有の後始末はこうして行われている
篠山 紀信 プロフィール

日経コンストラクション編集部から、この本の表紙タイトルを初めて見せられたとき、僕は愕然とした。2011年3月に原発が事故を起こしてから約6年後。16年末と17年初の2度にわたって僕が見た現場は当時の衝撃を超えるものではなく、むしろ静かに整理整頓されている様に見えただけに、「すごい」という言葉に違和感を覚えたのだ。

 

しかし、撮影している時、僕はしばしば「すごい」という言葉を発していたらしい。僕にとって「すごい」とは、想像を超えた恐ろしさ、醜さ、悲惨さを表すほか、素晴らしい、美しい、偉いなど、時に相反する意味にも使う言葉のようだ。複雑な心境と微妙な感情の交差、その集積がこの本だと思って見てもらいたい。

僕は常日頃、その時代で突出して面白いヒト、モノ、コトを撮るのが一番だと思っている。写真は時代の写し鏡だから。格好よく言えば、僕のやっていることは時代のドキュメンタリーなのだ。「次のテーマは何ですか」と聞かれても、そんなことは分からない。「時代に聞いてくれよ」と答えるしかない。

時代という奴は、永遠に続いていく。やっかいなことに、僕が時代と並走しながらシャッターを切れる時間は限られている。終盤、いや超終盤に差し掛かっていると思う。そんなタイミングで、東日本大震災は起こった。

地震の直後、津波の被災地に行くことにすごく迷いがあった。行かなくちゃ、と思いながらも、自分のカメラで捉えられるのか、写真家として何ができるのか―。それを、日経コンストラクション編集部が背中を押してくれた。結果として宮城県の被災地を4回訪れて、「ATOKATA」という写真集にまとめた。

でも、常に原発のことが心の隅にあった。写真家として震災を捉えた時、原発の問題は素通りできない。だが、津波の被災地に行くより怖かった。自分に何ができるのかと。するとまた、編集部が僕の背中を押してくれた。今度は躊躇しなかった。

帰還困難区域を通って原発に着くと、まずパスポートを見せて、全身の放射線量を量る。そして、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、靴下を2枚はいて、防護服を着て、ヘルメット、マスク、だてメガネまでして。何重もの垣根を越えないとたどり着けない。だからこそ、感無量だった。

だが、震災直後とほとんど状況は変わっていない。原子炉の中のデブリ(溶け落ちた核燃料)の調査は始まったばかりだし、まずそれを引っ張り出す方法も、出したところでどうしていいかも分からない。6年もの間、毎日6000人近い人が働き、膨大なお金と知力を使ってもだ。

ものすごく時間を掛けて、最終的にどうするのかと東京電力の人に問うと、「元に戻す」と。何もかも、事故前の状態に戻すことなんてできやしない。それでも現場で働く人たちは、住んでいた人に帰ってきてもらいたい、生活できる環境に戻したい一心でやっている。途方もなく無駄な行為にも思える反面、すごく尊くて、やりがいのある仕事なんじゃないかとも思える。

未来に向かって、計り知れない長い時間を掛けて、それでも止めることなく続ける。そんな現場に触れた。ドラマチックな写真を撮ろうという思いはない。僕は、これから何年掛かるか分からない膨大な時間の中のある一コマに立ち会ったにすぎない。そんな気持ちを込めて、僕は撮った。

篠山 紀信

がれき撤去と燃料取り出し、汚染水対策——大手ゼネコンや原発メーカーが続けている、事故の収束対策とその作業を7年に渡って取材、具体的なスケッチや模型、現場写真などと合わせて紹介している一冊。

例えば4年間にわたって建屋を覆い、放射性物質の飛散を防いでいたカバーを解体していく様子が図で描かれていたり、現場で早朝から始まる作業の具体的なリポートがあったり、7年間多くの人がどのように関わってきたのかがよくわかる。

まだまったく終わりは見えず、途方にくれるようなプロジェクトだが、関わる人々がどのような思いで、どのような技術を駆使して動いているのかを見ると、「諦めない」という言葉が浮かぶ。【日経コンストラクション編 写真:篠山紀信 文:木村駿】

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