「がらくた生命」または「生命0.5」

生命1.0への道 第1回
藤崎 慎吾 プロフィール

同じく代表的な生命起源の研究者である横浜国立大学教授の小林憲正(こばやし・けんせい)さん(写真8)は、私の理解するかぎり山岸さんとは対照的な立場だ。「生命0.5」や「生命0.1」どころか「生命0.0000001」さえ、いたかもしれないと言うのである。それを小林さんは「がらくた生命」と呼んでいる。

典型的な日本人かもしれない私には、とても魅力的な考えだ。実のところ、この連載のタイトルは小林さんと話しているうちに思いついたのである。

写真8 小林憲正さん

ここで再び余談だが、私のような年代にとって懐かしいアニメの一つに『妖怪人間ベム』がある。2011年には亀梨和也や杏、鈴木福らの主演で実写ドラマ化されており、若い人でも知っているかもしれない。

「人間になれなかった妖怪人間」たちが主人公で、オープニング曲では「早く人間になりたい!」と叫んでおり、これが当時の子供たちの間で流行ったことがある。同時期にアニメ化された「ゲゲゲの鬼太郎」に比べると、よりおどろおどろしくて怖かった。

妖怪人間たちは、もともと一人の科学者が実験室で人間を造ろうとして失敗し、遺棄した細胞から生まれた。これは、できそこないの「生命0.5」と言っていいかもしれない。この設定が物語に暗い影を落として、妖しさと恐怖感を煽っていた。

もう一つ、マンガやアニメで「生命0.5」を登場させたのは、漆原友紀の『蟲師(むしし)』である(図1)。江戸末期から明治初期あたりを思わせる架空の世界で、主人公のギンコは諸国を経巡りながら「蟲(むし)」にまつわるさまざまなトラブルを解決していく。イメージとしては漢方医のようで「患者」を治すばかりでなく、日頃から蟲を収集したり、その生態を調べたりしているらしい。

ギンコによれば、蟲とは生命の共通祖先をさらに遡る存在で「生命の原生体(そのもの)に近いもの達」だという。続けて「そのものに近いだけあって、それらは形や存在があいまいで、それらが見える性質と、そうでない者に分かれてくる」(句読点は藤崎)と説明している。一種の精霊と思えばいいだろうか。

実際、蟲たちの多くは儚くて、不思議な力を発揮することはあるものの、たいていの場合、人間に致命的な悪影響を及ぼさないうちに消えてしまう。

図1 『蟲師』(©漆原友紀/講談社)

超人的な能力を備えている妖怪人間たちも、その存在基盤は危うい。そもそも3人しかいないし、繁殖能力もなさそうだ。次々と悪い妖怪を退治して人々を救ってくれるが、彼らの存在が社会的に認められることはなく、時には迫害すら受ける。「早く人間になりたい!」と叫びながら、彼らは際限のない戦いを強いられているのだ。それでも、ほとんどの人には見ることさえできない蟲よりは、多少マシなのかもしれない。

小林さんの「がらくた生命」も、同じように儚い存在だ。もしかしたら今でも生まれている可能性はあるのだが、残念ながら我々が感知する前に消えてしまう。この世界にはすでに「生命1.0」が、隅々にまではびこっているからだ。

そして常に、餌となる有機物を求めている。欠陥の多いベータ版が、完全版と争って勝てるはずもなく、すぐに食べられてしまうだろう。小林さんは、そう考えている。

しかし、まだ完全版がいなかった40億年前の地球だったら、生き延びるチャンスはあった。そして「生命0.0000001」から「生命0.1」そして「生命0.5」へと、少しずつ進化の階段を昇っていったかもしれないのである。これも詳しくは次回以降で話そう。

ところで読者の方々は「生命0.5」がいたと思われるだろうか、いなかったと思われるだろうか。せっかく、このような媒体で連載を始めたのだから、講演をしている感覚で、ちょっと挙手をお願いしたいところだ。もしよかったら、このアンケート(https://goo.gl/wqHyTy)で、ポチッとお答えいただきたい。

第2回に続く★

注3) 現在の熱水中に含まれているメタンやアンモニアは、堆積物中にある生物の死骸が分解してできたものであることが多い。しかしマントルを構成するカンラン岩という岩石と海水との化学反応で、生物とは関係なくメタンや有機物がつくられている熱水噴出域もある(ブラックスモーカーではない)。生命は、このような場所で生まれたという説が唱えられている。