焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか

フェイクニュースと国民統制の恐怖
大前 治 プロフィール

「空襲は怖くない」という感じを持たせる

次に、政府の広報誌による宣伝をみてみよう。

東京大空襲の2ヵ月前、政府広報誌「週報」428号(1945年1月10日付)に、防空総本部や内務省の防空担当者による「決戦防空座談会」が掲載された。防空活動を国民にどう指導するか、次のように語られている。

「週報」第428号・1945年1月10日付
・爆弾なんていうものは、落ちても外国と違い、日本のこういう土地及び建物の状況では被害は大して多いものじゃない。〈中略〉いまお話のあったように、焼夷弾は恐ろしいもんじゃないといふ感じを皆に持たせる。そうして、どうして消したらよいかといふことを徹底させることが一番必要だと思ひます。

恐ろしくない「感じ」を持たせるのが大切。そこには科学も知性もない。「頑張れば火を消せる」という大和魂で空襲を乗り切るのである。

一方、東京大空襲の3日前、1945年3月7日付の政府広報誌「写真週報」は、「一億国内戦場の決意に起て」という見出しのもとで、「たとへ一億の肉体は滅ぶ日があっても、大和の荒魂は決して敵の暴挙を許さぬであろう」と国民に決起を呼びかけた。

このように、政府の指導には「怖くないから逃げるな」という気休めの安全神話と、「死を覚悟せよ」という悲壮な強制の二面性がある。

矛盾はしていない。

御国のために死ぬのは素晴らしいことであり恐ろしくない、という建前なのである。

 

ある軍人の告白 「空襲より恐ろしいのは…」

それにしても、なぜ避難を禁止して消火活動を義務付けたのか。

たとえ建物が焼失しても、国民の生命が守られれば、それを労働力や兵力に活用できる。だから「消火しなくてよい、逃げて身を守れ」と呼びかけることも戦争遂行には有益なはずである。

この疑問の答えに近いことを、帝国議会で正直に告白した軍人がいる。

1941年(昭和16年)11月20日、当時の陸軍省の軍務課長であった佐藤賢了(後の陸軍中将)は、衆議院の委員会で次のように述べている。防空法を改正する審議中に、質問も指名もされていないのに立ち上がって演説をしたのである。

左から朝日新聞1941年11月21日付、大阪毎日新聞 同日付
空襲をうけた場合において、実害は大したものではないが、国民が狼狽して混乱に陥ることが一番恐ろしい。また、それが一時の混乱ではなく戦争継続意志が破綻してしまうのが最も恐ろしい。
戦争は意志と意志の争いである、たとえ領土の大半を敵に奪われても、戦争継続の意志を挫折させなければ勝つことができる。
わが国の真剣勝負は「皮を斬られて肉を断つ、肉を断たれて骨を切る」という教えがある。戦争も同じである。軍・政府・民間が協力一致して防空法により訓練に尽力する。
敵の空襲を受けるに従い、ますます対敵観念を奮い起して、戦争継続意思を昂揚させていく方策をとらなければならない。

空襲の実害よりも「戦争継続意志の破綻」が最も恐ろしいというのは、戦争遂行者として正直な告白であろう。国民に戦争への恐怖は疑問を抱かせると、戦争遂行が不可能になる。

日本国民は、まだ一度も空襲や敗戦を経験しておらず、戦場の恐ろしさも知らない。このまま恐怖を抱かせずに、国民を戦争に協力させたい。

だから政府は、空襲の火災は簡単に消せるし、逃げなくてよいと宣伝した。そして、徹底した言論統制によってその惨状を報道させなかった。

「政府は嘘をついていた」「この戦争は間違っている」とは死ぬ瞬間まで気付かせない。国民が生命を失うことよりも、生きている国民が戦争に協力しなくなることの方が、よほど不都合だったのであろう。