「世界一旨いウニって、どこのやつだか知ってるかい?」
釧路市内の居酒屋で地魚をつまみに飲んでいるとき、初老の店主から問われた。去年、新作の食小説のネタ探しに北海道の道東、釧路から根室までの130キロほどを旅したときのことだ。
「世界一旨いとなると、やっぱ北海道でしょう。利尻とか根室とか小樽とか」
地元に敬意を表してぼくが答えると、
「ふつう、そう思うだろ? ところが、世界一旨いのはロシアのやつなんだよな」
店主は得意げに続けた。
「ウニってやつは昆布を食って育つから旨くなるんだけど、ロシアの海には上等な昆布がわんさか生えてるんだな。なぜかっていうと、ロシア人は昆布を食わない。せいぜい焚きつけに使うぐらいで放ったらかしにしてる。おかげでウニは、好物の昆布をたらふく食えるから旨いウニに育つってわけよ」
「へえ、そうなんですか」
思わずぼくは感心してしまったが、真偽のほどはわからない。あとで調べたら、近年はロシア産昆布の事業化が進んでいるらしいから、焚きつけにしていたのは昔の話かもしれない。
それでも、小説書きのぼくにとって、現地で暮らす人たちがぽろりと漏らしてくれる逸話ほどありがたいご馳走はない。
虚実とりまぜた食のエンターテインメント物語を書く上で何のヒントになるかわからないから、しめた、とばかりにメモに残す。
翌日、釧路から根室へ向けて陸路移動したときもそうだった。
北海道は車で移動したほうが効率的だと聞いてレンタカーを借りたのだが、レンタカー営業所のおじさんからひと言、釘を刺された。
「シカには注意してくださいよ」
北海道の郊外では、繁殖したエゾジカが道路に飛びだしてきて車と衝突する事故が多発しているのだという。
事実、いざ国道を走ってみると、そこかしこに"シカ注意"の標識が立ち並び、路面にも大きな白い文字でシカ注意と表示されている。これには、昼めしで立ち寄った食堂のおばさんも嘆いていた。
「エゾシカは車を怖がらないから、ほんとに困ってるの。とくに夜は気をつけなさいよ」
加えてもうひとつ、車に撥ねられたエゾシカを解体して飲食店に売り捌いている連中がいることにも手を焼いているらしい。
「素人が勝手に捌いたシカ肉って、病原菌とか危ないから食品衛生法違反なのに、おかまいなしなのよ」
もちろん、正規のハンターが獲ってエゾシカ肉処理施設認証を受けた施設で捌いたものならまったく問題ない。エゾシカ駆除の一環として、北の大地のジビエと銘打って全国のレストラン向けに積極的に販売されている。
なのに、そうした努力を踏みにじるように、素性の知れないシカ肉を売りさばく連中や、その肉を安いからと料理に使う店が後を絶たないそうで、闇商売はやめてほしい、とおばさんは眉根を寄せる。
幸いにしてぼくはシカに出くわさなかったが、こういう話を聞くと、しめたと思うより先に腹が立つ。
食は命に直結するものだ。
金儲けの手段としか考えない一部の不届き者の性根には憤りを覚える。