もしかして、何かあった?
友人の大島から、「東京マラソン走るんだ」と聞いたとき、まず、そう思った。
たとえば、不倫がバレたとか。会社で大きなミスをやらかしたとか。株で大損したとか……。私は、大島が走る理由を勝手に想像した。なぜなら、当時の私は、みそぎを必要とするようなことがないかぎり、42.195キロにもおよぶ距離を自ら進んで走るなんてありえないと思っていたからだ。ところが、大島は、
「一度走ってみたかったんだよね」
まるで近所にできた新しい居酒屋へ行くかのようにさらりと言った。
この女、物好きにもほどがある。そう思いながらも、東京マラソン当日、恐いもの見たさに友人と一緒に市ケ谷の防衛庁前で大島が来るのを待つことにした。市ケ谷駅から外堀通りに出てまず驚いたのは、沿道を埋め尽くす応援の人たちの数だった。
そんなに有名な選手が走るのかな? 私は、歩道から身を乗り出す人たちを横目に、タブレットで、「東京マラソン ゲストランナー」と検索した。オリンピックや世界選手権に出場経験のあるランナーや箱根駅伝の出場メンバーが何人か走ることはわかったが、彼ら目当てにこんなにも大勢の人が集まるのだろうかと首を傾げた。
沿道がざわつきはじめると、トップランナーが疾風のごとき勢いで走り抜けていった。その速さは想像以上。あの速さで42.195キロを走り続けるわけ? 呆気に取られている私の前に、エントリー抽選倍率12倍を勝ち抜いた3万5000人の市民ランナーたちが次々にやって来る。その表情は一様に明るく、みそぎを必要としている人たちではないことは明らかだった。
じゃあ、なぜ走るのか? 私は不思議に思ったが、そんな私の疑問などものともせず、
「頑張れ!」「行けー!」
沿道の応援団たちはランナーに向かって声援を贈り続けている。
「大島、頑張れ!」
叫ぶ友人の声に目をこらすと、大勢のランナーに混ざって手を振る大島の姿があった。お世辞にも身体が絞れていると言えない。これで完走できるのかと心配にもなる。でも、飛びっきりの笑顔だった。
「大島。頑張れ!」
友人につられて大声で叫ぶと、なぜか、鼻の奥の方がツーンとした。