あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか

大震災から7年、私たちが直面する問題
堀 有伸 プロフィール

政府の直営事業としての廃炉作業

私は現地で活動する東京電力および協力企業の方々の、震災後の努力と献身を心から尊敬しているし、そのことに深い感謝の念を抱いている。

もし原発事故が何らかの償いを要求するものだとしたら、この方々こそは、もっとも真摯にそれに取り組んできた人々の一部であろう。

あの原発事故の時に、命がけで事故収束に向けて奮闘した方々がいなければ、さらに事故が拡大し、より悲劇的な事態が出現していた可能性がある。

先に引用した「国会事故調 報告書」にも、次のように記載されている。

「(当委員会の問いに対して)彼らが語ったのは、プラント運転を担う運転員としてのプロ意識と、家族の住む地元への愛着心であった。幸いこのような環境を経験せずに済んだほかの原子力発電所の運転員にも同じような気概があり、逆にそのような気概のある運転員の勇気と行動にも支えられ、危機にあった原子炉が冷温停止にまで導かれた事実は、特筆すべきである」

しかし、この人々の労苦は十分に報われていない。

逆に、同報告書によると「原子炉事故の危険や恐怖が公知となった今、仮に次の原子炉事故が起こった場合にも、本事故と同水準の事故対応を期待できるのか」「そのような論題を真正面から議論するだけでも、原子力を継承する次の人材が確保できなくなるのではないか」という懸念が示されたとされている。

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私は、勤勉や献身のような「日本人の美徳」が損なわれているとするならば、それは日本的美徳に批判や攻撃を行う人々によるものよりも、「日本的美徳」を体現する人々を何らかの意味で搾取の対象として恥じない勢力の存在によってそうなっていると考える。

私には、東京電力の本店が、現地の自社職員、あるいは協力企業の職員たちを、自分たちを守る盾として利用しているように見えることがある。

事故を起こした福島第一原子力発電所の廃炉の作業は、日本国政府の直営事業として行うことが本来的ではないだろうか。

そうであれば、安全性や雇用の確保についてさまざまな問題点が指摘されている廃炉の事業への信頼性を高めることができるだろうし、そこに従事する人々の身分や福利の補償もより確固としたものとなるだろう。

そして近隣住民の安心感も高めることができる。もしそうすることで「廃炉の費用が高くなり過ぎる」と主張する者がいるのならば、その人々はその高くなる費用を誰に担わせようとしているのかについて、問われるべきである。

 

東京電力「3つの誓い」の虚しさ

少し、私個人の考えの変遷について説明させていただく。

原発事故が起きた時の私は、都会の大学関係者にありがちな、心情的左翼とでもいうような立場で、やみくもに政府や東京電力を批判する意識に強くのみ込まれてきた。

しかし、福島県に移住して、自衛隊や警察、消防、行政、東電の関係者を含む地元の方々の必死の努力を間近で見て、その心情に変化が生じてきた。

そして、反原発運動の、立派な主張と行動の無責任さのギャップを感じるようになり、当初の自分の立場を反省し、いわゆる保守的な立場に自分が近づいていることを感じていた。

しかし今回、次の二つの事実への認識を深め、原発に反対する意図を明らかにするべきだと改めて考えるようになった。