あれだけの事故が起きてもなぜ日本は「原発輸出」を続けるのか

大震災から7年、私たちが直面する問題
堀 有伸 プロフィール

日本型企業の「下請け制度」問題

福島の原発事故の後処理の問題を見る時に、1940年体制の問題点の中でも影響が大きいと感じるのが、日本型企業における下請け制度の問題である。

東京電力と協力企業の問題が指摘されることが多いが、その前提としてまず国と電力会社の関係性が、どのような意図によって構築されたのかを確認しておきたい。

野口の前掲書では、1937年に国会に提出され大論争を巻き起こしたが一回は撤回された「電力国家管理法案」の一部が紹介されている。

これはしかし1938年には実質的には同内容の法案が可決され、この考えが戦時期だけではなく戦後の経済政策にも大きな影響を与えた。

その主張は、次のようなものであった。

「民有国営なる国家管理の新方式は、かかる社会的背景において、国策の要求に促されて、発案せられたものである。これによれば、国有国営の場合に見るがごとき公債の増発を要せず、拡張計画において議会の掣肘を受けず、その経営活動において会計法の制約を蒙らず、あえて官吏の増員を要せず、また面倒なる国家報償の問題も生じないのである。

もしも民有国営なる電力国営の新方式がその合理適切性を一般に認められて、国家の経済統制の基本方式となるにいたるならば、国家統制は急速に発展し、しかも合理的に完遂されるであろう」

 

1940年体制における最上位の格付けは日本国政府である。その権威を守るためには、重大な責任が発生するリスクをなるべく担わないで済むように、他の主体に担わせなければならない。また、その権威を維持するために必要なコストも、他に担わせることで軽減できる。

そのような発想の下で、電力会社が国によって設立された事情があることを、この消息は明らかにしている。

この国と電力会社との関係性は、電力会社と協力企業との間にも転移される。格付けの上位に位置する存在は、主体的にリスクとコストを引き受けてくれる存在を、自分がコントロールする系列の上位に位置づけることが可能である。

したがって、1940年体制で序列の中で下位にあるものは、自発的に服従する姿勢をアピールすることを身に付けなければ、その序列の中での存在が危うくなる。

しかし同時に、重要な結果につながる決断の責任を可能な限り引き受けないように、他の者に押し付けるリスク管理にも、熱心になる。

〔PHOTO〕gettyimages

このようにして、1940年体制が「日本的ナルシシズム」の心理体制を生み出し、この心理に強く影響されている者が、社会的に重要な地位を占めることで1940年体制が強化され、そのことが「日本的ナルシシズム」の心理を強化する循環が生じているのである。

しかしこのことが、重要な人間疎外に通じることは明らかであろう。

震災後に、ある東京電力の関係者から次のような話を聞いた。

その関係者も、双葉町の住人であった。原発事故で故郷を失い、別の地域で避難生活を行いながら、東京電力で地域住民からの苦情の電話を受けるサービスに従事した。

双葉町の住人から、ふるさとに戻れない苦しみを聞かされ、「お前たちにはその苦しさが分からないだろう」と厳しく責められた。

「自分も双葉町の住人だった」と言いたいが、それを口に出すことはできなかった。

そうすれば、次には「東京電力は、双葉町の関係者を盾にして責任逃れをしようとしている」と会社が非難されるだろう。

だから、つらくても黙って聞いていた。