原発事故から7年、不都合な現実を認めない人々の「根深い病理」

南相馬の精神科医がいま考えること
堀 有伸 プロフィール

「安全で豊かに過ごせる」という幻想

国会事故調の報告書には、この時期の国の規制官庁と東京電力の関係性について、もっと踏み込んだ記載がなされている。

「学会等で津波に関する新しい知見が出された場合、本来ならば、リスクの発生可能性が高まったものと理解されるはずであるが、東電の場合は、リスクの発生可能性ではなく、リスクの経営に対する影響度が大きくなったものと理解されてきた。このことは、シビアアクシデントによって周辺住民の健康等に影響を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、対策を講じたり、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることをリスクとして捉えていたことを意味する」

「事業者のみではなく、それを規制する側である保安院も、『既設炉への影響がない』ということを大前提として、事業者とシビアアクシデント規制化の落としどころを模索していたことがうかがえる」

これを筆者は、野口のいう1940年体制への自信過剰、それが平和と繁栄をもたらし続けていたことがもたらした慢心(太平洋戦争での敗戦は忘却されている)の結果であると理解する。

 

1940年体制のシステムの中にいる限りは、中央に集められる富の分配が有利に行われるポジションを維持することさえできれば、安全で豊かに過ごせる。

そして、そのシステムが捕捉していない問題については、まともに対応しない方が保身と出世のためには有利であるという確信である。

したがって、このシステムの中で上昇を目指すものは、システム上位者に評価され、そちらとの良い関係が維持されることに全力を費やすようになる。

それ以外のものは、切り捨てられる。この体制で評価されない問題に深くかかわることで、自分の評判を落とすようなことを行うべきではない。閉鎖的な集団の中で共有される幻想が、現実を凌駕する影響力を発揮するようになる。

「国会事故調 報告書」には、次のような原発事故当時の状況についての報告もある。

「本店側には、現場の実情から判断される発電所の意思決定よりも、官邸や保安院の指示、要請に従うことで、事故対応で生じる結果責任を回避しようとする動きが見られた。こうした本店の姿勢から、やがて本店と現場との意思決定に乖離が生じることとなり、最終的には、発電所においても、現場で下した判断と、本店及び官邸、保安院の指示との間で、後者の意向をくむといった意思決定が見られた」

したがって小論でもまずその1940年体制の内容を紹介するが、一部は意図的に筆者の解釈によって表現を改変している。正確を期する読者には、ぜひ原著を紐解いて内容を確認していただきたい。

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1940年体制とはなんだったのか?

1940年体制とは、太平洋戦争に突入する直前だった日本が、戦争を遂行するために、国中の富を中央に集中させ、それを国策遂行の目的に沿うように分配を行うために構築したシステムである。

野口によれば、日本型の企業は経済学の教科書にあるような株主の利潤追求のための組織ではない。むしろ、従業員の共同利益のための組織となっている。

戦前には日本の企業も株主の利益追求のための組織という性格が強かったが、1938年に「国家総動員法」が作られた後に、配当や株主の権利が制限され、さらに戦時期には終身雇用制や年功序列の賃金体系が全国的に拡大した。

下請け制度も、軍需産業の増産のための緊急措置として導入された。日本の金融システムの特徴である間接金融の仕組みも、戦時期に改革された。これは、資源を軍需産業に傾斜配分させる目的であった。