原発事故から7年、不都合な現実を認めない人々の「根深い病理」

南相馬の精神科医がいま考えること
堀 有伸 プロフィール

日本人が直面する構造的問題

原子力発電所事故が起きてしまったことで、東日本大震災からの、特に福島県での復興は、その内容に政治的意図を読み込むことが可能となる質を帯びてしまった。

ほとんどの人は、複雑な意図など持つことなく、純粋な人間的な共感から被災地の人々への援助を行ったのだが、そのような活動が、不健全であるとみなされた原子力産業を利する質を持つと、外部から倫理的に批判される可能性が生じた。

それに対しては、震災に巻き込まれるという苦難の中にある人を放置して批判し、安全な場所から倫理的な高みにあるかのような言動を行う人々への反批判もなされた。

この闘争に巻き込まれてしまうことで、被災地の、そして日本の将来に向かうべき活動が分裂し、実現されるべき結果が大幅に損なわれていることを、筆者は主張してきた。

そこで今回は、この隘路(あいろ)を超えるための思考法について、一つの提案を行いたい。

原発事故についての問題を考えるのが日本人にとって困難なのは、それに自分たちの社会がどうしようもなく巻き込まれていて、それによって成り立っているような構造的な問題に直結しているからである。

「原子力」を「核」と書き換えてもよい。現状に至るまでの歴史的な経緯があり、そこにはさまざまなトラウマや喪失の記憶がともなっており、激しい情緒が刺激されることもあるために、思考が妨げられ易い。

自分が取っている立場が批判されていると感じることもあるだろう。しかし私たちには、勇気を持ってそれを見ていくことが求められている。そして、この構造を明らかにするのが、最初に行うべき作業である。

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「国会事故調 報告書」を読んで…

一つの補助線を引く。

1995年に初版が出版された、野口悠紀雄著『1940年体制―さらば戦時経済』である。私は、原発事故をめぐる社会の動きを最も適切に説明するのは、この本に書かれた内容だと考えている。

精神科医でもある筆者が、厚顔にも専門外の経済に関する記述を行うことには理由がある。

 

一つは、2011年の原発事故が、残存する1940年体制が引き起こした事故であったのにもかかわらず、その体制の見直しには向かわずに、その体制を再強化する方向で日本社会が対応していることを指摘する意図である。

もう一つは、筆者が難治化・慢性化するうつ病等の問題をかかえる個人や組織に見出した「日本的ナルシシズム」という病理性が、野口の主張する「1940年体制」に過剰適応した結果と理解できることを示し、この社会情勢の中で個人がどのように行動するべきであるのかを考える一助とすることである。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会による「国会事故調 報告書」の記載を読んで、私は「1940年体制」あるいはそれに過剰適応した心理である「日本的ナルシシズム」が、原発事故の原因であると判断する確信を深めたもっとも着目するべき点の一つは、津波による事故の危険性が指摘されたことについての、東京電力の対応である。

この報告に基づいて現在、東京電力の元会長の勝俣恒久被告、元副社長の武黒一郎被告、元副社長の武藤栄被告の3人が、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、裁判が行われている。

今年1月26日には第2回公判が行われた。その裁判の中で、東京電力の社員が、平成20年に武藤元副社長が参加した会議で、巨大な津波の可能性を示す試算を報告したと証言した。

被告らは「試算には違和感を覚えた」と証言し、津波の被害は想定外であり無罪であることを主張した。