photo:著者提供
# ライフ # 仏教

坊さん、遍路を再開する。

そして僕は四国遍路を巡る④

サラリーマンだった主人公が突然お坊さんになる様子をユーモアある筆致で記したベストセラー書籍で、映画化もされた『ボクは坊さん。』。その著者にして、愛媛県今治市にある栄福寺の住職・白川密成さんの四国遍路巡りと、お坊さんとして過ごす日常をお送りする本連載、久々に再開です! そしてミッセイさんのお遍路も再開!

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便がドカン 腹が凹む 焼しょうが

大洲の十夜ヶ橋(とよがはし)の橋の下の大師像にお参りした後、四十四番札所大宝寺(だいほうじ)に向かった。四十三番明石寺からの距離は約80キロである。朝鮮半島の百済から来られた僧侶が携えてきた十一面観音像を安置したのがはじまりと伝わる。まさに深山の趣深い寺で、車をおりて緑の木々に囲まれた古い建物に身を置いていると、明らかに自分が日常とは違う心の中にいることを感じ、静かでそして少しワクワクするような気持ちになる。

大宝寺(写真:著者提供)

ここでもやはり古い石像に心を奪われる。なにかを思い出すような、元いた場所に戻ってきたような不思議な気持ちだ。四国遍路をお参りしていると、僕は何度も無数の石仏に心を奪われた。それはほとんどの場合、著名な仏像でないのだけど、時に美術館でみる国宝や重要文化財の仏像以上の感情を、四国の風土の中で僕にやわらかく何かを届けてくださる。

写真:著者提供

そして古仏だけでなく、まだ真新しいグリーンの色彩を帯びた十一面観音が、木々に囲まれている姿もまた古仏にはないフレッシュな気持ちを届けてくれる。

写真:著者提供

続いて、標高700メートルの四十五番札所岩屋寺(いわやじ)へ。車遍路も寺のすぐ近くには行けず、徒歩でしばらく山道を登ってゆく。特に高齢のお遍路さんには、難所になるが、最近運動不足の自分にとっても楽ではない道である。しかし歩き始めた道中の懐かしい風景、「まだまだこれからじゃ岩屋の坂と人生は」という飾り気のない看板に、どこか気持ちがゆるむ。合理性やセンスを問われる息苦しさが、笑顔と共にこぼれ落ちてゆく気がする。

写真:著者提供

軒を連ねた売店の壁には、「便がドカン 腹が凹む 焼しょうが」というストレートな商品コピーがやはり手書きされている。「聖地に無礼な」とは思わず、なんだか再びニヤリとしたり、吹き出しそうになるのもまた悪くない気分だ。

写真:著者提供

しばらく山道をのぼって寺に着く。弘法大師がこの地を訪れた際、法華仙人と称する空中を自在に飛行できる土佐(高知)の女性修行者が住んでいたという。岩屋寺の名の通り、岩に張り付いたお堂の姿に、遍路中もっとも印象的な寺としてこの寺を挙げる人も多い。

 

こういった自然の優しさだけでなく「厳しさ」を想起させる寺があるからこそ、人は四国遍路に何度も向かうのだろう。人が「死」を抱えていること、時に苦難を抱えること自体が、自然の厳しさのひとつであるから。

写真:著者提供

寺付近には様々な修行場があり、その様子は四国遍路の場所が「修行の場」であることを思い出させてくれる。

仙人堂跡へ続くはしご(写真:著者提供)

今日もこの「岩の寺」にお遍路さんが、鈴を響かせ集う。

写真:著者あ提供

「山毫(さんごう)溟墨(めいぼく)を点じ 
 乾坤(けんこん)は経籍(けいせき)の箱なり」

(弘法大師 空海『遍照発揮性霊集』巻第一)

【現代語訳 山は筆となって大海原の墨池に墨をつける
 天地は経典の入れ物】

車の遍路であっても、寺の雄大な自然に触れて手を合わせていると、弘法大師の言葉が胸に染み込んでくるように感じる。この世界は「経典の箱」であり、仏法は机上の理論ではなく、この場所を舞台にあるものだということを。