春節の中国農村で見た、圧倒的に貧しいけれど笑顔の人たち

確かに格差はある、しかし…
青山 潤三 プロフィール

「豊かさ」とは何なのか

そうは言っても、現に中国の農民の多くは都市に憧れ、「都市戸籍」を得たいと願っているのが現実です。

いくらネットが規制されている中国といえど、田舎にも都会の情報は入ってきます。住居、交通、食べ物、ファッション…都会のほうが便利で魅力的に映るのは当然です。しかし、そうした華やかな生活は、自分たちには決して手に入れることができない…そう感じたとき、そこに「格差」が生じます。

自分の話になって恐縮ですが、筆者は着るものに全く頓着しません。夏も冬もほとんど同じ恰好(Tシャツ1枚、たまにYシャツ)で過ごしています。とはいえ清潔さは保ちたいので、100円ショップでTシャツとブリーフと靴下を3セット揃え、それとYシャツとズボンを2セット、ポケットが沢山ついたサファリジャケットを年中着ています。

寒いときは、知人が「さすがに真冬は寒いだろうから」と贈ってくれたユニクロのジャンパーを羽織ります。年間に使う衣類費は4000円ほどです。それで十分だと思っています。

しかし、どうやら世間の人は、少し寒くなるだけで次々にいろんな服を着込んでいます。お金もかかるでしょう。しかし極寒の高山や熱帯のジャングルに頻繁に出かける筆者の場合、2度や3度の気温の変化でいちいち衣服を替えるわけにもいきません。普通はそんなところには行かない、と言われればそれまでなのですが。

 

筆者はもう30年間、一般人の行かない中国奥地や東南アジアの自然環境、いわゆる「秘境」を徘徊しています。

移動手段はバス、ヒッチハイク、徒歩(1日50㎞は歩けます)。ツアーなどには一切参加しません(この前の隕石探索で、生まれて初めてツアーバスに乗りました)。本当は外国人が足を踏み入れたらマズイのではないか、という場所にも、必要とあらば出かけます。

しかし筆者の場合は、好んで秘境で「冒険」しているわけではありません。たまたま調べたい対象の生物が秘境と言われるような場所(というより、誰も知らない「ごく普通の地」)に棲んで(生えて)いるので、仕方なく、さまざまな困難を伴う「探検家まがい」の行動を取らざるを得なくなっているだけなのです。

筆者撮影

プラントハンターや昆虫コレクターとも違います。いわゆる「珍しい生物」を探しているわけでもないのです。身近にいる普通の生物たちの、いわば「祖先」のような存在を探している、と言えばわかりやすいかもしれません。

秘境に行くことも、途上の冒険もしなくてすむものなら、部屋の中で一日中顕微鏡を覗いて過ごす(筆者のライフワークは蝶の生殖器の構造解析による系統考察です)か、南の島のビ-チで美女に囲まれ、ハンモックに揺られて過ごしたいのですが…いつか叶うのでしょうか。

都会だから偉いのか

話を戻します。

田舎が田舎のままで、収入が少なくても相対的に豊かで、皆が笑顔で幸せに暮らしている…結構なことだと思いますが、中国という国家にとっては、それでは困るのでしょう。

いま中国は、アメリカをも超える世界一の大国を目指し、物価を上げ、給料を上げ、国民の総収入を増やすことに全力を挙げています。田舎が田舎のまま、「収入は少なくても幸せ」な状態では困ります。

だから、あえて収入の格差を作り、田舎の人々を煽っているのではないかーーそんな疑念さえ湧いてきます。

中国の都市と他国の都市のもっとも大きな差異は、中国の都市は田舎町が徐々に発展し、大きくなってできたものではなく、「無理やり作られた都市」であるという点です。ここ最近話題の深圳などは、その典型でしょう。表面的には豪華で煌びやかで近代的に見えても、そこに「中身」はありません。

深圳中心部(Photo by gettyimages)

筆者は中国のほか、東南アジア諸国も訪れることが多いのですが、それらの国々を歩いていて感じるのは、中国と比べれば根本的には欧米とさほど違わない「普通の国」だということです。田舎がだんだん発展し、都会になっていく。当然、急激な成長はできませんし、そもそも望んでもいません。

しかし中国は、無理矢理にでも大都市を人工的に作り出し、内実を伴わないまま繁栄し、いまやお金持ちの大国になりました。こうした現状を見ると、「格差問題」の本質は「地方が貧しい」ということではなく、「都市が虚構の上に成り立っている」ということなのではないか、と思えてきます。

都会が上で、田舎が下。そうした幻想のヒエラルキーがどんどん強固になっているのは、中国に限った話ではありません。日本だってこの先、地方を切り捨てることでしか生き残ることができなくなるかもしれません。