絶対王者・羽生結弦をめぐる「大メディアフィーバー」に潜むもの

どんな結果でも「英雄伝説」は作られる
森田 浩之 プロフィール

羽生結弦の決戦がついにはじまる

メディアの「羽生フィーバー」は、16〜17日の男子シングルの本番で頂点に達する。「絶対王者」とまで呼ばれた金メダル候補が、3ヵ月の不在を経てオリンピックのリンクに帰ってくるのだ。

しかし、羽生はどれだけのパフォーマンスができるのか。それがメダルに──それも彼が狙っていると公言する金色のメダルに見合うものになる可能性はあるのか。

練習を見た記者や専門家がさまざまなコメントを出しているが、本当のところを知っているのは彼の最も近いところにいる数人だけだろう。

だから、メディアはフィーバーする。羽生がまともに滑ることができるかどうかも、100%はわからない。ましてメダルを取れるかどうかなど、当然わかるはずはない。

この状況で羽生が本当に金メダルを獲得すれば、メディアでは大変な「物語」が作られることになるだろう。

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先述した神話学者キャンベルの理論に基づくなら、「イニシエーション」がそこで完了し、「リターン」の段階に入る。

羽生が代表する共同体は、歓喜の声で埋め尽くされる。ファンはもちろんそうだろうが、メディアもそのときを待っている。

もし羽生が金色のメダルに手が届かなくても、メディアはさまざまな物語を用意する。

たとえば団体戦の男子ショートプログラムで1位になった宇野昌磨が金メダルに輝き、羽生自身は別の色のメダルになっても(さらにメダルを取れなかったとしても)、素敵な物語はいくらでも作られる。

 

アスリートをめぐる物語は、共同体が重要視する価値観を表すものになることが多い。

社会学者のアービング・ゴフマンらの理論を借りれば、価値観は抽象的なものなので、共同体が称賛することはむずかしい。そのため、価値観を表すシンボルが必要になる。

このシンボルが、ときに人のかたちをとる。そのひとつがヒーローであり、ときにはスポーツヒーローなのだ。

羽生が、日本という共同体で重要視されるある種の価値観を体現する存在であることはまちがいない。何しろ記者会見で、こんな質問を向けられるのだから。

「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように育つと思いますか?」

今回のオリンピックで羽生の成績がどうあろうとも、メディアは多くの人が納得できる「英雄伝説」をつむぎ出すだろう。

3ヵ月の不在を経た羽生結弦の決戦は、いよいよ金曜日から始まる。