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いよいよ出場!満身創痍の王者・羽生結弦にかけたい言葉

「連覇を期待」「がんばれ!」でもなく
青嶋 ひろの プロフィール

羽生ブームのきっかけは「流血の2014年中国杯」

冷静に、現実的に、ここまでマイナス要因を並べても、まだこう思う人はいるだろう。

「それでも、羽生結弦ならすべてを超えて、やってくれるのではないか」

そんな意見が不思議なほど多いのは、なぜか?

現在の羽生結弦ブームが起きた頃のことを、少し思い出してみたい。

photo by gettyimages

羽生ブームが爆発したのは、いつか。実は4年前のソチオリンピック時ではない。確かにソチ五輪では大きな話題になり、たくさんの熱狂的なファンも付いたが、一般的にはまだ五輪メダリストのひとりとして見られるにとどまっていた。

この時点では、現在ほど強く、国民的な関心が寄せられる対象ではなかったのだ。その証左に、2014年の中国杯。羽生結弦の、オリンピック後初のグランプリシリーズとなる中国杯に、日本からは新聞(一般紙)が3社、通信社が1社しか取材に来ていなかった。現在なら羽生が出るとなれば、どんな小さな試合でも、どんなに遠く離れた開催地であっても、ほぼすべてのスポーツ紙の記者が集合するのだが。

しかしスポーツ紙が1紙も取材に来なかった試合を、フリー翌日、すべてのスポーツ紙が一面で報じることとなる。あの、6分間練習での他選手との衝突、その後、流血しながらフリーを滑走したシーンが、あまりにも衝撃的だったのだ。

あの中国杯での事故後も、羽生は休むことなく滑り続けた。NHK杯出場、グランプリファイナル進出、ファイナルでの優勝……一連の流れの後、羽生はただの五輪金メダリストではなくなっていた。常に大きく扱い、特別に追いかけなければならない浅田真央並みの存在に、彼はソチ五輪ではなく、流血の中国杯をきっかけになってしまったのだ。

 

そこから彼がドラマを作り続けてきたのは、周知のとおりだ。

翌15‐16シーズンには、 NHK杯、グランプリファイナルと世界歴代最高得点を連続して更新。世界選手権では公式練習で他選手とニアミスし、声を荒げるというアクシデントもあった。五輪のプレシーズンである17年世界選手権では、ショートプログラムで5位と出遅れながらもフリーで4回転4本を成功し、奇跡的な逆転優勝も果たした。

あの中国杯から後、ドラマ、ハプニング、奇跡……そんなものが、常に羽生結弦にはついて回っている。いや、そんなことはソチ前からだよ、と、彼を長く見ている人は言うだろう。

シニア2年目の2011年、ホームリンクが被災した夏、何十回というアイスショー出演を練習に代えて歩んだ、復活への過程。

同じく2011年の中国杯を4位でスタートしてしまい、次戦は1位をとらければファイナルに進めない、という状況でのロシア杯で、まさかのグランプリ初優勝。

2012年世界選手権、右足首靭帯を負傷してショートプログラム7位に沈みながら渾身のフリーを滑り、初出場にして初の世界選手権メダル獲得。

さらに2013年の世界選手権でも、右足首の痛みに顔をゆがめながらほぼすべてのジャンプを成功させ、日本のソチ五輪出場枠3に大貢献する総合4位。

モスクワの奇跡、ニースの奇跡、ロンドンの奇跡……などといちいち呼びたいようなミラクルを、彼は五輪を制する前からずっと見せ続けてきたのだ。