日本人が大好きな「ハーバード式・シリコンバレー式教育」の歪みと闇

日本では、まったく参考になりません
畠山 勝太 プロフィール

「貧しいけど平等」な日本の教育システム

a. 日本の貧しさ

ある社会が教育にどれだけ資金を割けるかは、いくつかの要因が絡み合って決定されるが、もっとも単純な図式では、その社会の豊かさ(GDP)×その社会の政府の大きさ(税率)×その社会の政府の教育性向(政府支出に占める教育支出の割合い)によって決定される。

日本がハーバード大学やシリコンバレーで見た教育政策をそのまま導入するのが難しい理由の一つはこの利用可能な教育資源の量にある。

税負担率については、2017年のIndex of Economic Freedomを見ると日米でそれほど差はないが、政府の教育性向については、World Development Indicatorsを見ると米国は日本の1.5倍程高い教育性向を持っている。

 

確かに、日本は少子化が急激な勢いで進んでいるので、それが教育性向に反映されているだけかもしれない。

しかし、若年従属人口指数という、生産年齢人口に対してどれくらい若年人口(15歳以下)がいるかで表される、働き手でどれくらい子供たちを支えなければならないかを意味する指標があるが、日本が21%程度なのに対し、米国も28%程度しかないため、少子高齢化だけでは教育性向の違いを説明しきれない。

しかし、何よりも決定的に違うのは豊かさである。日本の世帯所得の中央値は約37800ドルであるが、これは全米で最も貧しい州であるミシシッピよりも低い。

実際にWorld Development Indicatorsのデータに基づき日米比較をしてみると、小学生一人当たりの公教育支出も、日本が8700ドル程度なのに対し、米国は11500ドル程度と30%以上も多い。

さらに、前述のように米国は州ごとの貧富の格差が大きく、ハーバード大学のあるマサチューセッツ州、シリコンバレーのあるカリフォルニア州の世帯所得の中央値はそれぞれ約70600ドル、約64500ドルもあるため、これらの州の小学生一人当たりの公教育支出は全米平均よりもかなり高い値になっていることが予想される。

さらに、州内での巨大な経済格差を考慮すれば、日本人がハーバード大学やシリコンバレーで見るような米国の公教育というのは、日本が模倣してスケールアップするには、高価すぎる商品なのである。

〔PHOTO〕iStock

b. 日本の教育の平等さ

日本の教育システムは、米国と比べると遥かに集権的で、これにより米国では考えられないほどの教育の平等性を保っている。

解釈には様々な注意が必要であるものの、日本は学力調査でそれほど豊かとはいえない秋田県がトップに立ったことがある。貧しい南部諸州が学力調査で軒並み下位に位置している米国からすると、これは驚きの結果であろう。

日本の教育の平等さを支える大きな柱の一つが義務教育費国庫負担金制度である。教員給与の3分の1は中央から、残りの3分の2は都道府県から支出されるだけでなく、教科書も国が支出し、施設費も国が半額負担をしている。また、広域教育行政が敷かれているために、遠隔地で極端な教員不足が発生することもない。

日本の教育システムには、このような、豊かな地域や富裕層からの税収を貧しい地域や貧困層の教育に充てるシステムが存在する。

その一方で、アメリカの教育システムはこのような機能が弱いため、富裕層がその豊かさをそのまま自分の子弟の教育に反映させることができる。

日本人がハーバード大学やシリコンバレーで見た米国の公教育とはその結晶であり、これを日本の豊かな一部の都市部で模倣するのであれば、それは恐らく、同じ日本人である地方や貧困層の子供を切り捨てた上に成り立つものであろう。