日本人が大好きな「ハーバード式・シリコンバレー式教育」の歪みと闇

日本では、まったく参考になりません
畠山 勝太 プロフィール

図1は、X軸に州内の世帯所得の中央値を、Y軸に8年生を対象とした学力調査の数学の成績(全米学力調査: NAEP)を取ったものである。

米国で最も貧しい州はミシシッピ州で、世帯所得の中央値は約40600ドルである。これに対し、最も豊かなメリーランド州のそれは約75800ドルと、州間の所得格差は2倍近いものとなっている。

そして、子供たちの学力も豊かな東海岸・西海岸で高く、貧しい南部の州では低くなっている。

ハーバード大学のあるマサチューセッツ州はどのような位置づけかというと、米国の中でもトップクラスに豊かな州であり、子供の学力も断トツで高い州である。

実際に、2011年に実施された国際学力調査のTIMSS(国際理科・数学調査)の数学の成績を見ても、561点と極めて高い成績を収めている。これは、514点のフィンランドと比べても極めて高い成績であるし、570点の日本とも遜色ない成績である。

そして、アメリカ全体の平均点は510点で、アラバマ州などは466点しか取れていないことを考えると、マサチューセッツ州の米国での例外的な位置づけが見て取れる。

このように、日本人がハーバード大学から見る米国の公教育というのは、貧しい州に対して手厚い支援をすることなく、その資源を自分たちの州の教育のためだけに使用したうえに成り立っているものであることは理解しておく必要がある。

 

シリコンバレー教育の「暗部」

米国の分権化された教育システムは、州の間以上に同じ州の中での教育格差も大きなものとしている。その原因の一つが米国の伝統的な教育財政システムである。

確かに近年、州政府や連邦政府の教育財政への介入の度合いが高まりつつある。

これは、1983年に公刊された「危機に立つ国家(A Nation at Risk)」というレポートが、経済成長と国防における教育の重要性を説き、このままでは日本を中心とする他の先進諸国との経済戦争に敗れると警告し、米国の教育政策関係者の危機感を煽ったことに端を発する。

このレポートが引き起こした最も顕著な変化は、公民権運動以来続いていた教育を通じた人種間格差の縮小という教育の重点が、学力の重視へとシフトした点である。

さらに、既存のシステムがダメな場合、それを改善するか、別のシステムを採用するか、二つの方向性を採りうるが、米国は後者を選択した。

つまり、これまで教育政策において重要な役割を担ってきたアクター(公立学校や州政府の下のレベルに位置する学区レベルの教育委員会)を退場させるために、民間にその役割を担わせようとしたり(バウチャー制度やチャータースクールの導入に象徴される)、州政府や連邦政府がその役割を担おうとしたりしている。

州政府や連邦政府の教育財政への介入度合いの高まりはこのような背景から進んでいるが、それでもやはり非都市部を中心に抵抗が大きく、依然として教育財政の主な権限が学区レベルにあるところが多い。

各学区は、選挙を行い教育委員会のメンバーを選んでいる。この教育委員会は徴税権を持っており、主に固定資産税を通じてその学区の教育予算を確保している。

つまり、不動産価格が安い貧困地域の学区では、教育水準の低い住民が多いため、そこから選出される教育委員会のメンバーの能力に疑問符が付くだけでなく、確保できる教育予算も少なくなる一方、富裕層が住む不動産価格が高い学区は潤沢な教育予算を確保することができる。

そして、この学区の教育委員会は、教員の任命権も持っている。

この結果、富裕層が多く住む学区は、高い教員給与を支払い優秀な教員を多く集めることが出来るか、貧困層が多く住む学区は、学校が荒れていることが多いため労働環境が劣悪になるだけでなく、支払われる給与も低くなっている。

例えば、私が住むミシガン州では、富裕層が多く住む学区の教員の平均給与は、貧困層が多く住む学区の教員のそれの3倍近い値となっている。