死刑判決を下した裁判官の「その後の人生」

精神を病んだ者、法廷を去った者…
岩瀬 達哉

元東京高裁裁判長は言った。

「差し戻し審は、審理を一からやり直すのではなく、審理すべきポイントが指示されている。

極めて限定された範囲での審理となるうえ、最高裁は、無期では納得できないと言っているわけだから、審理の結果は、最初からほとんど決まっているという感じがした」

実際、差し戻し審は、永山に死刑判決を言い渡している。これに対し、永山は上告するが1990年4月、第二次上告審で死刑が確定。確定判決から7年後、逮捕から28年後に死刑は執行された。

最高裁の「永山基準」によって、死刑判決が増えることはなかった。しかしその後、さらなる凶悪事件が発生したことで「永山基準」は緩和され、死刑は「選択も許される」刑罰から、「選択するほかない」刑罰へと姿を変えていくのである。

死刑の「選択基準」を大きく緩和させたのは、1999年4月、山口県光市で発生した母子殺害事件だ。

当時、18歳と1ヵ月の少年だったC被告は、排水検査の作業員を装い、若い主婦(当時、23歳)のアパートの部屋に上がり込み、絞殺したのち性的暴行を加えた。しかも泣き止まない生後11ヵ月の長女を、ヒモで絞殺するという残忍な事件だった。

少年の場合、殺害した人が2人だと死刑になった例はなく、無期懲役が下されている。また「永山基準」に照らしても、C被告に前科はなく、少年審判手続による調査で「矯正教育の可能性がある」と報告されていた。

そういう事情が有利に働いたのだろう。一審の山口地裁、二審の広島高裁とも、無期懲役を言い渡した。

しかしこの後、事態は劇的に変化する。

被害者の夫がテレビに出演するなどして、その無念の思いを、強い怒りとともに訴えたのである。これによって厳罰化を求める世論が形成され、それに押されるように最高裁は、無期懲役を破棄し、審理を高裁へと差し戻した。

その最高裁判決にはこう書かれている。「極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択をするほかないものといわなければならない」

 

世論に押された「厳罰化」

暗に、死刑判決を求める書きぶりだろう。そして、差し戻し審の広島高裁は、C被告に死刑を言い渡している。被告側は上告するものの、上告審で棄却。死刑が確定している(現在、再審請求中)。

最高裁の内幕を暴いた『最高裁の暗闘』(朝日新書)によれば、この事件をめぐり最高裁は、相当に混乱していたことがわかる。

事件を担当した第三小法廷の濱田邦夫裁判長は、「死刑と無期、2通りの判決文案を調査官室につくらせ」、「『死刑』派は『無期』派に迫った。『どちらが社会に説得力があるだろうか』その結果、『無期』派が折れたのだった」

しかし、被告の罪を問い、量刑をどうするかは、「安定普遍の法」によって裁かれる必要がある。世論に押されての政治的判断や、変幻自在の政策によって裁かれたのでは、もはや裁判とは言えないだろう。

光市母子殺害事件は、死刑の選択基準を緩和し、少年であっても死刑を言い渡すという厳罰化への流れを生み出した。だがここに大きな危険が孕んでいることを最高裁は見逃していた。

2009年に裁判員裁判が始まったことで、その危険性にようやく気づき、大慌てで修正を加えることになる。

(文中敬称略)

岩瀬達哉(いわせ・たつや)
55年、和歌山県生まれ。'04年『年金大崩壊』『年金の悲劇』で講談社ノンフィクション賞を受賞した。その他著書多数

「週刊現代」2018年2月17日・24日合併号より

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