死刑判決を下した裁判官の「その後の人生」

精神を病んだ者、法廷を去った者…
岩瀬 達哉

「死刑選択の基準」というものがある。

これは「永山基準」と呼ばれ、連続射殺魔と称された永山則夫(逮捕時、19歳)の裁判から生まれたものだ。

永山は、わずかひと月ほどの間に、東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシー運転手4人を射殺。タクシーの売上金や腕時計などを盗んでいた。

凶器の拳銃と銃弾は、横須賀の米軍基地に忍び込み、基地内の住宅から盗んだものだった。

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最初の犯行から約半年後の1969年4月、永山は東京・渋谷区の路上で逮捕された。
犯行時、19歳の年長少年だったが、一審の東京地裁は死刑を言い渡した。

ところが控訴審で無期懲役へと減刑されるのである。その理由を、審理にあたった東京高裁の船田三雄裁判長は、判決文に書いている。

「ある被告事件につき死刑を選択する場合があるとすれば、その事件については如何なる裁判所がその衝にあたっても死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に限られる」

「死刑の宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとすべき意見があるけれども、その精神は現行法の運用にあたっても考慮するに価するものと考える」

死刑を選択する基準

永山の命をひとまず救った「船田判決」は、しかし一方で、最高裁に混乱をもたらした。

『死刑の基準「永山裁判」が遺したもの』の著者、堀川惠子の言葉を借りれば、「船田判決」が一般化すれば、死刑をまったく例外的な刑とする可能性があり、ひいては実質的に死刑廃止の主旨と理解される余地があったからだ。

 

元東京高裁裁判長で、弁護士の木谷明が語る。木谷は、「船田判決」当時、最高裁判決の文案を作成したり、判例解説を執筆したりする調査官の職にあった。

「船田判決は、その当時の死刑言い渡し基準から見ると、やはりかなり踏み込んだ判決です。それについて最高裁が、一定の見解を示さないと収拾がつかないと思ったのでしょう。船田判決を破棄し、高裁に差し戻しした。

審理にあたって、『死刑の選択も許される』べき基準を、量刑因子(判断基準)として示したのです」

最高裁が示した量刑因子は、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状」の9項目だった。

これが、その後の死刑判決で、必ずといっていいほど引用される「永山基準」である。

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