死刑判決を下した裁判官の「その後の人生」

精神を病んだ者、法廷を去った者…
岩瀬 達哉

死刑判決の重みは、それを宣告した者にしかわからない。まさに、究極の刑罰なのである。

元裁判官のひとりも、死刑を宣告する日は朝から極度に神経が張り詰め、法廷に入るドアノブに手をかけた時は、できることなら逃げ出したかったと語った。

「法廷に入ると、頭を丸坊主にし、緊張で顔面蒼白となった被告人(犯人)が、まず、目に飛び込んでくる。

その背後の傍聴席の片隅には被害者の遺族が怒りも露に座っている。もう一方の片隅には、被告の奥さんが、申し訳なさそうに身を縮めている。

法廷全体が、なんとも言えない重苦しい空気に包まれていて、ややもすると、気持ちがなえる。しかし裁判長として、みっともない態度は取れないので、自らを鼓舞し、ヘジテイト(躊躇)しながらも死刑を宣告したものです」

これまで宣告した3件の死刑判決のなかでも、忘れられない法廷がある。会社のカネを使い込んだあげく、発覚を防ぐため残業中の上司と警備員を撲殺。金庫から現金を盗んだのち、証拠隠滅のため建物に放火した男を裁いた法廷だ。

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被告に同情することも

当時を回想しながら、元裁判官は語った。

「根はまじめなサラリーマンが遊興におぼれ、人生の歯車を狂わせてしまった。逮捕後は犯行を悔いつつ、責任を真正面から受け止めようとする姿が、立派だった」

逮捕されるまでの間、男は、北海道でひとり暮らす年老いた母親に一目会いたいと、人目をさけ、山道を徒歩で数ヵ月、歩き通し青森までたどり着いていた。

しかし青函連絡船の時間待ちで入った映画館に自身の指名手配写真が張ってあるのを見て、北海道には渡れないと観念。妻に別れの電話を掛け、家族を不幸にしたことを詫び、子供のことを頼むと伝えての出頭だった。

 

元裁判官の回想は尽きない。

「法廷で判決文を読みながら、この被告も、赤ん坊の時は夜泣きをし、母親は優しくあやしたんだろう。父親も、経済的につらい思いをしながら学校にやったに違いない。

大事に育ててきた自慢の息子が、人を殺めて裁かれる。そんな日がくることを親は、想像もしなかっただろうなと思うと、いかにも不憫で、やりきれなかった」

単なる使い込みだけなら、数年で出所できたはずだった。その不正を申し出る勇気がなく、狂気の犯行に走った男の哀れを、ときどき思い出すという。

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