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安倍総理が恐れ、小池百合子は泣きついた「永田町最後のフィクサー」

この国の裏も表も知り尽くす男

「先生、助けて」

「顔役」なんて言われるのは親父(笹川良一)の影響じゃないかな。親父は生きている時は大物右翼だなんだってマスコミにずいぶん叩かれたからね。

でも死んだら誰も文句を言わなくなった。なぜかというと、おカネを1円も残さなかったからね。ひがみも妬みも残さなかった。

日本だと政界の顔役っていいイメージじゃないよな。でも政治に熱意を持っている人間だと思ってもらえればいいんじゃないか。政治といっても年金や医療だけじゃない。

例えばスポーツ振興。俺は空手をオリンピック競技に入れた。文科省にも働きかけて中学校の学習指導要綱を変えてもらった。そうすることが青少年育成に役立つと思えばやる。

経済人はおカネを提供して終わりだけど、政治家は長い目で世の中の移り変わりをみていく力が求められる。

多くの議員は辞めたら、もう自民党本部には行かないでしょう。俺は今でも元宿仁事務総長に呼ばれるから行くんだ。彼とは同郷のよしみでね。額賀派の会合もあるし、頼まれごともあるから今でも週に一度は党本部に通っているよ。

 

〈こう語るのは、笹川堯氏。1935年東京都生まれ、父は戦後を代表する大物フィクサー笹川良一だ。'86年の衆院選で初当選。選挙区の群馬では「神」に等しい扱いを受ける権力者で、'09年引退後も政界に隠然たる影響力を持ち、永田町最後の「フィクサー」と呼ばれる〉

例えば、去年の10月の衆議院総選挙。自民党本部が山梨2区で二階派の長崎幸太郎君の出馬を認めただろう。あれではもともと推薦をもらって出馬していた岸田派の堀内詔子さんが困るよな。二階さんも力があるからって、ちょっとやりすぎだった。

だから俺が現地に入ってひっくり返したんだ。長崎が勝つと言われていたが、蓋を開けてみたら堀内が勝った。

あのとき、自民党本部は二階さんを通じて公明党に「長崎さんを頼む」と言っていたんだ。だから俺は公明党をひっくりかえす役割を果たした。

都知事選のときには小池百合子からも電話がきた。実は当時、俺は腰を痛めていて、車椅子に乗るほどだった。そんな状態だったから夜、薬を飲んで早く寝ちゃおうと思っていたの。

そうしたら23時40分頃だったかな、携帯が鳴ったんだ。相手は小池百合子だった。「先生、助けて」と。「(自民党内では)誰も私を助けてくれない」って言うんだ。

「どうしたらいい?」って聞いたら、翌日に新宿西口で街頭演説するからそこに来てくれないか、ということだった。しょうがないから街頭演説しに行ったよ。

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自民党からは「先生、小池の応援はやめてくれ」って言われたな。森(喜朗)さんもわざわざブラジルから電話してきて「小池の応援はしないでほしい」って。

でも小池は「応援してくれ」って言ったんじゃない。「助けてくれ」って言ってきたんだ。男だったら助けないわけにはいかんだろう。もし小池が「応援にきてくれ」なんてお願いをしてきたら行かなかったね。

でもあれだけ腰が痛かったのに、選挙になるとピンとしちゃうんだ。選挙カーの階段を上ったり下りたり。それでもしっかりしゃべれたから自分でも驚いた。

都知事選を制したあと、俺は小池に言ったんだ。「国政には手を出すなよ」って。でも出しちゃった。それで失敗した。去年の総選挙のあと、小池を呼びつけたら「先生、ご迷惑おかけしました」と謝っていたよ。

ついでに明かすと、(自公などの推薦で立候補していた)増田寛也君も俺のところに来ていたんだ。でも彼はものの頼み方を知らない。どうしたら人の心を動かせるのかわかっていない。

いかにも役人あがり(建設省出身)の口調で「内田茂さんから、電話をかけるように言われたので電話をいたしました。応援よろしくお願いします」と言うんだな。

かたや本人の意思で「助けてくれ」ときた。かたや「誰かに言われて電話しました」と言う。人はどっちに心が動く?それが増田君にはわからなかった。