1988年ソウルと2018年平昌の「温度差」はどこからくるのか

北への低姿勢に「平壌五輪」と揶揄され
崔 碩栄 プロフィール

失った「モチベーション」

開幕さえしていないのに、すでに韓国では結果とその後に対する不安と心配の声が広がっている。

大会を誘致した自治体が大会終了後の施設の運営、管理において大きな赤字を抱えるであろうことは、誰の目にも明らかだ。

どうにかして大会自体だけでも成功させたいところだが、これについても数年に一度と言われる寒波が繰り返し襲ってくるような今年の気候、そして北朝鮮というある種予測不能な変数などのために、展望が明るいとはとてもではないが言えない状況だ。

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ソウルオリンピックを契機に韓国は輝かしい発展を遂げ、「オリンピック=繁栄」というイメージが持たれていた。そしてソウルオリンピックが、スポーツはもちろん、経済や文化の成長のみならずお金では買えない「自信」を与えたことは、当時の韓国人にとって最も大きな収穫だった。

だが、1988年からは状況があまりにも大きく変化した。韓国はもはや発展途上国ではなくなり、国民も官が主導する「国家行事」よりも個人的な趣味、休暇、旅行を優先するようになった。「少しだけ努力すれば先進国の仲間入りができる」といったスローガンはもはや時代遅れで見向きもされなくなっている。

そして北朝鮮という国の存在。ソウルオリンピックを1年後に控えた1987年に発生した大韓航空機爆破事件という北朝鮮による妨害工作は、あってはならない事故だったが、これが逆に韓国人を団結させるという効果を生んだ。

ところが今回のオリンピックでは北朝鮮が参加するという決断を下し、これが韓国内の分裂と混乱を招いているのだ。

 

あまりにも多くのことが違う今回のオリンピックだが、それでも何かプラスの効果を残すことが出来るのだろうか?

ここまでの流れを見ていくと、今回のオリンピックで一番得るものが大きかったのは、何の費用もリスクも負うことなく世界中の注目を集め、開会式前日には軍事パレードを行い核の脅威を全世界に堂々と宣伝することになった北朝鮮に違いない。

北朝鮮の顔色ばかりを窺っている韓国政府に反発するかのように「平壌オリンピック」という言葉が広まっている。だが、この言葉、ただの皮肉ではなく何よりも核心をついているのかもしれない。

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