障害者とともに一流のスイーツを作る「久遠チョコレート」の挑戦

「障害があるから低賃金」を乗り越えて
なかの かおり プロフィール

何があっても最低賃金は払う

夏目さんが障害者のパン屋の事業を見ると、運営に問題もあったという。障害者が朝早くの作業ができないからと、昼時を過ぎてもパンが並んでいない。それでは朝食や昼食に食べたいお客さんに応えられない。

 

「障害者のせいではなく、運営するほうの責任なんです。障害者の福祉かどうかは関係なく、売れる、求められるものを提供すればいいと思いました」(夏目さん)

パン工房をやりたくて企画書を書き、様々な会社に持ち込んだ。中でも敷島のパン会社「パスコ」の社長が協力してくれた。自社で引き上げた機会を貸し出し、職人を派遣してくれたという。そうした動きを見て、銀行も資金を貸してくれた。2003年の3月に、個人事業としてパン工房「ラ・バルカ」を開店した。

夏目さんは、地元の最低賃金である時給681円を保証した。作業所にいた3人の障害者を雇用して、「絶対にこの賃金は払う」と決めた。月の給料は10万円近くなる。「初めは赤字で、7社からカードローンを借りていました」

夏目さんは障害があるからと安い賃金になる現実に疑問を持った。障害者でもきちんと賃金をもらえる仕組みを作るために、本当に人が求めるものを作った

成長の瞬間、忘れられない

お金の苦労はあったものの、「障害者が自立していく瞬間を見たのが忘れられない」と夏目さんは振り返る。

「ある女性は、計算ができずパニックになってしまう。ある時、自分でペンとノートを買ってきて、名前と値段を書いている。覚えればレジ打ちができると思ったようです。それを見て、『障害者もちょっと工夫すればできないことができるようになる』と気づきました。今までの福祉は、当事者に選択肢を与えなかったんです。障害のあるなしに関わらず、成長とは一緒に乗り越えていくこと。だれにでも可能性があるんです」

パンを焦がしてしまった障害者も、繰り返しやっているうち、きれいに焼けるように。当時、メロンパンのブームだったので、夏目さんは借金して販売車を購入。メロンパンの移動販売を始めると、引きこもりがちだった障害者も自立して外に出られるようになった。

「赤字も止まり、近くのビジネスホテルの朝食パンを手がけるようになりました。おかわりも含めて、焼き立てを届けたんです。それが評判になり、口コミで仕事が来るようになりました」。それからNPO法人を経て、社会福祉法人にした。今もこの場所で、福祉事業所としてパン作りを中心に55人の障害者が働いている。

ショコラティエに出会い自ら修業に

このラ・バルカから、久遠チョコレートが生まれた。5年ほど前、夏目さんは紹介されてショコラティエの野口和男さんに出会う。野口さんは菓子ブランドのプロデュースや受注での製造を専門にしていて、業界の有名人。それまで夏目さんは「ケーキとチョコレートは難しいだろう」と、全く関心を持っていなかった。

「ところが野口さんは『チョコレートは、化学的なもの。正しい材料を使って正しく作れば、だれでもいいものが作れる』と。働きに来いよと言われて、東京の工房で数週間、働きました」

夏目さんがチョコレートを作ってみると、危ない機材もなく、やけどの心配もない。溶かして固める繰り返しの作業。仕事量が多く、単価が高いので利益率が高い。2014年、野口さんが引き受けきれない仕事をやらせてもらうところからスタートした。

「3年は下積みでと思っていましたが、日本財団から助成を受けたこともあり、大きく動き出しました。京都の福祉事業所がチョコレートを作りたいと手を挙げ、店舗も決まっていた。だったら自主ブランドがあったほうがいいかと。京都の雰囲気ある店構えに合わせて、久遠チョコレートというブランドを立ち上げました」(夏目さん)