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効果的な利他主義ってわかりますか?
小川 仁志 プロフィール

絶対知から〈多項知〉へ

こうした諸現象は、「我思う、ゆえに我あり」というデカルト以来の理性主義、そしてヘーゲルで頂点を極めた絶対知に象徴される理性中心の西洋哲学全体の終焉と見ることもできる。

もちろん、モノに着目する西洋哲学の新たな潮流、思弁的転回は、ある意味で西洋哲学が自ら行き詰まりを突破するための模索としてとらえられる。それ自体は注目に値する動きであり、今後も議論が発展していくだろう。

しかし残念ながら、すでに多くの知識人たちが指摘し始めているように、それだけでは足りないのだ。思弁的転回だけでは、この複雑怪奇な時代状況を規定するまでには至らない。

だとすると、何が時代を規定する物差したりうるのか? それはまさにこれまで述べてきた脱理性主義的な現象すべてである。つまり、従来の理性主義にとって代わろうとしている脱理性主義の多層的な知が、全体として時代を規定しようとしているのだ。

具体的には、感情、モノ、テクノロジー、共同性の四つの知を指すわけだが、これは単に複数の視点があるというだけではない。そうではなくて、この四つの知がそれぞれ重要な「項」としてあって、それらが「多項式」のように連接することによって、あたかも一つの多層な知を形成しているのである。

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だから私は、これを〈多項知〉と呼ぶことにした。数学の多項式は、それを形成する各々の項がつながって、一つの解を出すことを前提にしている。いわば〈多項知〉によって導き出される「解」こそが、新しい時代の処方箋にほかならない。

あえていうと、〈多項知〉という言葉には、価値観が多様化する中で、多くの種類の幸せをもたらす「多幸知」という意味も込められている。誰もが同じ種類の幸福を目指すという前提のもと、それを実現するための知として西洋哲学は発展を遂げてきた。奇しくもその頂点を極めたヘーゲルの哲学は、絶対知という名で知られている。

それに対して、私が掲げるこのポスト・グローバル化した脱理性の時代には、むしろ多様な幸福を実現できる〈多項知〉こそが求められるのである。

「絶対知から〈多項知〉へ」。時代は今確実に、新たな段階へと突入しつつあるのだ。

公共哲学とは何か?

〈多項知〉が社会を紡ぎあげようとするとき、自ずとそのやり方は従来のものとは異なってくる。私たちはまずこの点に注意しなければならない。社会をつくる知が変質しようとしているのだから、これまでと同じ構図、同じやり方が通用するわけがない。

自分と社会、つまり「私」と社会をいかにつなぐかを考察し続けてきた公共哲学は、大きな転換を求められているのである。これまでとはまったく異なる新たな公共哲学が求められているといっていいだろう。

その意味で『哲学の最新キーワードを読む』は、新しい公共哲学を提案するものでもある。そこで初めに、公共哲学とは何かということについて少しだけ触れておきたい。というのも、公共哲学自体、学問の世界を越えて一般に広く知られているとはいえないからである。

もっとも、公共哲学的なもの自体は長い歴史を持つ。なぜなら、公共哲学とは、公共性に関する哲学であるから、公共性という概念が存在した時点ですでにこの世に成立しているのである。少なくとも事実としては。

たとえば、古代ローマにはレス・プブリカという概念があった。これは共和国と訳されるが、プブリカが英語のパブリック(公共)の語源であることに鑑みると、まさにそれは公共性を意味していたといってよい。

 

あるいはもっと昔、古代ギリシアにおいてさえ、そうした意味での公共性は事実として存在していた。人々は公共圏ともいうべきアゴラ(広場)において、議論を戦わせていたのだから。

そしてほかでもないその古代ギリシアのアゴラから、本格的な哲学が誕生したのである。その点では、哲学はその出自からして公共的なものであったとさえいえるだろう。

しかし、それらはあくまで事実としての公共哲学であって、学問として体系化されていたわけではない。公共哲学がその名を冠した学問として登場するのは、はるか後のことである。