体調を崩して緊急入院し、そのまま手術することになった70代の父。都心の大手証券会社で働く40代の「ぼく」は、会社を早退して病院へ駆けつけた。
何かにつけて暴力を振るう父とは、決して折り合いがよくなかった。複雑な思いが胸を去来する中、母の口から発せられた言葉は、あまりに衝撃的なものだった。
「実は、あなたのお兄さんにあたる人がいるの。私と結婚する前の奥さんとの子どもなのよ」
現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。話題騒然の第1回に続き、さらなる「家族の真実」が明かされる第2回をお届けする。
ぼくは母との結婚が再婚だということを知らなかったので、まさか前妻との間に子どもがいることも聞いていなかった。すぐに頭に浮かんだのは、父の虚言癖だった。父はよく嘘をついて、ものごとを何倍にも大きくいうことがあった。
「また嘘ついてるだけじゃないの?」
「本当なのよ」
「自分でいってるだけで、誰も会ったことはないんだろ?」
「………」
「証拠がないんだったら、本気にしちゃダメだよ」
「私と結婚する前に、千葉でおばあちゃんたちと一緒に暮らしてたことがあったのよ」
「おばあちゃんの家で?」
「そう。家族3人、面倒を見てもらった時期があるんだって。これは私もおばあちゃんから直接聞いた話だから、嘘じゃないと思う」
「本当かよ」
ぼくがその話を受け入れざるを得ないと思ったのは、母のいうことに切実さがあったからではない。話を聞いている姉の表情に、何の驚きもなかったからだった。
「知ってたの?」
「少し前に聞いたことがあるわよ」
ぼくの問いに姉がうなずいた。
「信じるのか?」
「そんなことで嘘ついてどうするのよ。歌舞伎町あたりで働いてるっていうし」
「歌舞伎町」という言葉に、ぼくの兄にあたるという人物が具体性を帯びてくるようで、姉の平然とした態度が意外だった。
「何でそんなこと、今になって……」
「聞いてなかったんだ?」
姉はぼくが知らなかったことに、意外そうな表情をした。
教えてくれても良かったじゃないか。そんな言葉を吐こうとしたが、父にあえて近づこうとしなかったのはぼくのほうだった。
父の暴力は、ぼくが高校生になる頃まで続いた。
憶えているのは、中学生のときだ。教師に生意気な態度をとったことで、親と一緒に呼び出されたのだろう。父はパン屋の名前が書かれた車で学校に乗り込むと、担任の教師の前で思い切りぼくを殴った。
うちはこういう教育方針ですからといってにらみつける父に、唖然とする教師の表情が今でも忘れられない。
父に強く反発するようになったのは、高校生のときだ。父は酔って家に帰ってくると、ぼくの生活態度が悪いと夜遅くまで説教をすることがあった。
面倒くさそうに話を聞くのが気に入らなかったのか、ぼくの部屋にあがり込んで洋服箪笥の中身をぶちまけたときには、思わず怒鳴り返していた。
階段を下りていく父の背中を蹴とばしたい自分を抑えたことに、その後何度も後悔したものだった。あのとき階段から突き落としてしまえば、父以外の家族4人はもっと平穏に生きていけたのではないか。しかし現実のぼくは、父に手をあげることなどできなかった。
大学に入ってからは、自然と父に距離を置くようになった。同じ家に住んでいても、自分から話しかけることはなかった。そんな息子の気持ちに気づいていたのだろう。父も細かいことで口出しするのを我慢しているようだった。
珍しく執着したのが、就職先についてだった。当時業績が悪化していた証券会社に入社することに、父は最後まで反対した。あんな会社は、すぐにでも潰れるという。ぼくが入社を決めたのは、そんな父への反発でもあった。
1年半歳上の姉も、扱いはぼくとほとんど変わらなかった。女だからといって手加減はしない。
姉は曲がったことが嫌いな性格で、父が母を殴りつけたときは、止めようとしたこともある。逆に父を怒らせて自分も殴られることになるのだが、そんな勇気ある姿勢がぼくにはうらやましかった。
親子とはいえ、父に憎しみに近い感情を抱いていることは、姉も同じだと思っていた。そんな姉に子どもができると、暇を見つけては父に会わせに行くのが不思議でならなかった。