中国の高速鉄道「和諧号」(筆者撮影)

中国の「地方」を歩き回る70歳が気づいた、日中の決定的な落差

「食」「トイレ」「鉄道」でわかる

ジャーナリストでも観光客でもない、「中国奥地で活動する70歳の自然写真家」という視点から、あまり報じられることのない「中国の地方」の実態を切り取る青山潤三氏の連続レポート。今回は、人間の生活に欠かせない「あるもの」の話から…。

中国文明とトイレの関係

中国と日本を30年あまりも行ったり来たりしていると、二つの国の落差を最も感じるのは、何といってもトイレに入ったとき。いきなり下品な話で恐縮なのですが、中国の公共トイレの汚れ方は、それはもう芸術的ですらあると感じます。

「田舎のトイレは確かに汚い。でも都会のトイレはずいぶんキレイになったよ」と、当の中国人は言います。しかし、筆者にはそうは思えません。むしろ、都会の近代的な建物に備え付けられたトイレのほうが、相対的に汚れを意識してしまうのです。

中国の農村では、隣にいる人の顔が見え、ときには互いに向かい合って用を足さなければならない、いわゆる「こんにちは便所」が少なくありません。モノによっては、足を踏み入れることを諦めざるを得ないほど、汚れている物件もあります。

広東省某所にあった公衆トイレ(筆者撮影)

とはいえ、こういうところのトイレが汚れていても、それはそれで納得できます。なにせ筆者が調査で訪れるような農村では、たいてい放し飼いの牛やヤク、馬、ロバなどの家畜がそこらを徘徊していますから、多少の汚れやにおいにも慣れるというものです。
 
問題は都市部の建物内などにあるトイレです。不思議でならないのは、そうしたトイレには、ほとんどの場合ちゃんと掃除係がいるのに、一向にキレイにならないのです。

男子トイレの場合、しばしば小便器に「一歩前進せよ、それが中国文明の前進につながる」という標語を書いたシールが貼り付けられています。トイレの衛生事情が中国文明の発展を阻んでいるのかもしれないと、政府も国民も気づいている…のでしょうか。

中国人の自宅を訪れると、いかに粗末な物件であろうと、トイレだけはチリひとつなくキレイにしています。それなのに、どうして公共のトイレはあんな状態でガマンできるのかわかりません。

 

筆者は調査・撮影のフィールドとして、中国の雲南地域と、ラオスやベトナムといった東南アジアの田舎町や村々を行き来しています。これは私見ですが、中国よりも東南アジアの田舎のトイレのほうが「美しい」と感じます。

ラオスやベトナム、あるいはタイやミャンマーやフィリピンなどの田舎のトイレは、中国以上に「シンプル」で、穴の隣に衝立がひとつ立っているだけ、という超・自然派のものが少なくありません。

ところが、これが実に清々しく、心地よいのです。小川のせせらぎが聞こえ、爽やかな風が吹き抜け、樹々の梢は陽の光にきらめく。耳をすませば小鳥のさえずりが…少なくとも筆者は、出たくなくなってしまいます。

フィリピン・ルソン島で見つけた公衆トイレ。逆に清々しい…

豊かになった多くの中国人は、そんなトイレを「粗末でかわいそう」と感じるのかもしれません。中国では「シンプル・イズ・ベスト」という言葉はまだ聞こえてきませんから。

ここ数年で中国には新幹線が走るようになり、都市部ともなるとビルが林立し、見違えるほどの発展を見せています。しかしそうした場所のトイレも、やっぱり日本人の感覚からすると、かなり不衛生です。あまりに急速な発展に、何か大事なものを忘れてしまっているように筆者には感じられます。