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「仏教徒でしかも尼さん」と「クリスチャン」の異宗教結婚夫婦

「宗教」や「姓」を強要するのはDV

「あなたたちの結婚はすぐに破綻する。なぜなら、価値観が全く違うのだから」――7年前、馴染みの葬儀屋の専務が自信満々で言い放ったあのひとことが今でも忘れられません。しかし、私たちは今日もその“期待”を裏切り、仲良く暮らしているのです。

結婚が祝福されない理由

私が夫である豊来家大治朗と出会ったのは、2010年夏のことでした。太神楽曲芸師の夫と落語家である私は出会った瞬間から意気投合し、半年後には結婚を約束しました。

しかし、そんな私たちを祝福してくれたのはごく僅かな人たちでした。なぜなら私たちは「常識の無い」、「許されない」、「無茶な」結婚をしようとしていたからです。

若い二人の結婚が祝福されない理由―それは、お互いの「宗教」にありました。

私は、現在「落語家」と「天台宗僧侶」として活動をしています。これはどちらも高校1年生のときからなりたいと思っていたもので、落語好きである両親の影響を受け落語家を志し、また法華経というお経に出会い感激したことから信仰の喜びを知り、僧侶となって信仰心を持つことの大切さを広めたいと願うようになりました。そこで当時15歳だった私は、落語家兼僧侶になって仏教落語を創作し、布教活動をしようと心に決めたのです。

落語家になったのは18歳のとき。そこから3年間大師匠の家に住み込み、朝は4時起きで修業をさせていただきました。そして、夫と出会った23歳の頃はまだ僧侶となる前でしたが、僧侶になるため天台宗へ「お坊さんにならせてください」と頼み込んでいる真っ最中でした。

そんなバリバリの仏教徒である私が「この人だ!」と運命を感じた相手は、なんと、洗礼を受けているクリスチャンだったのです。

 

親が違って当たり前

結婚を約束した相手がクリスチャンと知ったときは、さすがに驚きました。なぜなら、日本のクリスチャンは人口の約1パーセントだといわれているからです。しかし私は驚きはしたものの、宗教が違うことを決して「壁」や「障害」だとは思いませんでした。

キリスト教式結婚式。photo:著者提供

というのも、私は信仰を持ったときから、常々「お釈迦さまは自分の魂の師匠であり、親だ」と感じてきました。そのため、夫がクリスチャンであることを知ったとき、「夫の親はイエス様なのだな」と思ったのです。我々人間、人それぞれみんな親が違って当たり前です。そして、結婚したらお互いの親を大事にします。だから夫とは、結婚したらお互いの親を大事にするように、お互いの神様とお互いの仏様を大事にしたらええやん、という話しになったのでした。